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2007年7月

2007年7月28日 (土)

マキノ駅に降りる

野球を見たあとは、琵琶湖の外周を一回りして帰ろうと、湖西線を北へ。

降りたことのなかったマキノに途中下車してみました。

マキノ駅に降りる



かつては、JRの「オールカタカナ」の駅名は、ニセコとここだけでした。

ふつうはひらがなで書くこの種の駅名板も、カタカナ表記。

マキノ駅に降りる





駅から少し歩くと、琵琶湖畔にたどりつきます。

マキノ駅に降りる

マキノ駅に降りる

この一帯は「マキノサニービーチ」として、環境省選定の「快水浴場百選」のひとつになっているそうです。(環境省HPより)

高校野球滋賀県大会決勝 北大津vs近江

滋賀県出身でもないのに、皇子山球場へやってきました。
高校野球滋賀県大会決勝  北大津vs近江

公立高校出身の身としては、うちわまでもらって県立の北大津を応援したんですが・・・(近江は私立)

高校野球滋賀県大会決勝  北大津vs近江

4回に10点取られて勝負あり。

甲子園で準優勝経験を持つ近江が、12-3の大差で今年のセンバツ出場校である北大津を破りました。
まあ、9回に一矢報いたのがせめてもの救いです。

高校野球滋賀県大会決勝  北大津vs近江

↓勝利後、校歌を歌う近江の選手たち

高校野球滋賀県大会決勝  北大津vs近江

梅雨も明けたようだし、夏本番を実感したひとときでした。

2007年7月23日 (月)

大相撲名古屋場所総括

ご当所場所で琴光喜が13勝を挙げ、史上最年長での大関昇進を決めた。愛知県出身では、玉乃島(蒲郡市出身・のちの第51代横綱玉の海)以来の大関誕生をまずは喜びたい。

正直なところ、この人は大関にあがることはないだろうと思っていたが、よく頑張った。

ただ、欲を言えばやっぱり千秋楽は勝って欲しかった。あそこで勝てないことが、朝青龍に27連敗していることにつながっている。来場所からの目標は、

「朝青龍に勝って優勝」

これしかない。協会の看板である大関なのだから、いくら相手が横綱とはいえ、もうこれ以上負け続けることは許されない。


優勝した朝青龍。体調不良とかけがしたとか伝えられていたが、相撲内容はあまりよくなく、最後の2日しか見るべき相撲がなかった。まあ、この相撲内容でも優勝できてしまうところは力の差というしかないが。

新横綱白鵬。終盤は相撲が崩れ、11勝は物足りない。特に千秋楽の5年ぶりの横綱対決はがっかりの内容であった。この人には大いに期待しているので、来場所以降の巻き返しに注目したい。


大関陣は論評に値しない感じ。琴欧洲は相変わらず相撲が小さい。白鵬に勝って何とか存在していることを示した程度。千代大海のほうがいくらかましかとは思うが、朝青龍戦の立ち合いはどうしようもない。横綱戦であれでは、相撲を取る前から負けている。


三役~幕内中位を何人か。安美錦は、2場所続けて朝青龍に勝ち、勝ち越したのは立派。安馬・琴奨菊は全く存在感なし。特に琴奨菊は一から出直しである。若の里は期待はずれ。豊真将はそれなりの力はあることを改めて示したが、立会いを磨かないと上位では勝てない。稀勢の里は、千秋楽以外はあまり相撲内容がいいとは思わなかったが、それでも11勝するのだから、幕内中位で取る人じゃないということ。上位で2ケタ勝てる力を早くつけて欲しい。


幕内下位では、海鵬と豊響か。海鵬は久々の幕内で技能相撲を見せた。充分技能賞に値すると思うのに、与えられなかったのはどうしたことか。豊響は押し相撲が冴えたが、これが上位で通用するには立ち会い始め、威力を一層磨くことが必要だろう。正統派押し相撲力士に大きく育ってもらいたい。
あと、把瑠都はどうしてこう怪我ばかりするのだろうか。十両以下では力は段違いなことは先場所で示したのだから、ここは幕下に落ちてでもしっかり休んで完治させるべきだ。そうしないと同じことの繰り返しである。


十両で優勝を争った3人。岩木山と旭天鵬は、やはり十両では格が違う。豪栄道も来場所は新入幕だろうから、若手でまた一人楽しみな力士が幕内に増える。


今場所は、琴光喜の大関昇進と、千秋楽まで優勝争いをしたことで盛り上がったが、相撲内容がやや盛り上がりに追いついていない、ちょっと物足りない感じであった。

秋場所は相撲内容も伴った、白熱の優勝争いと若手の活躍が見られることを望む。

2007年7月16日 (月)

旅の終わりはN700系

小倉へ戻り、「のぞみ28号」で名古屋へ。

せっかくならデビューしたばっかりのN700系に乗ろうと狙っていました。

(そういえば、漆生・上山田線に乗った旅行の帰りに乗ったのも、デビューして間もない100系でした・・・)

新しいのはやっぱり快適。希少価値のあるうちは選んで乗りたい、と思える車両でした。

旅の終わりはN700系
旅の終わりはN700系

旧JR上山田線・真崎駅跡

熊ヶ畑~真崎間の線路跡は、サイクリングロードとして整備されていた。

旧真崎駅周辺は、「ふれあい広場」として整備され、ホーム跡に看板を建てていた。

旧JR上山田線・真崎駅跡

↓当時使っていたと思われる駅名板。外枠は新しく作ったものだろうけど。

旧JR上山田線・真崎駅跡

旧JR上山田線・真崎駅跡

ここへ来る手前に、「英彦山湯~遊~共和国」なる施設があったが、今年5月1日限りで廃業していた。廃墟は寂しい限りで、旧真崎駅付近の道路には、まだこの施設の看板が多く残っていて、余計に寂しさを募らせた。


なお、漆生・上山田線跡については、このサイトが詳しい。(帰ってから気づいた)

旧JR上山田線跡

上山田線も、漆生線と同じ日に飯塚~上山田間を往復している。

上山田~下山田間を歩いたりしているので、漆生線よりは駅前の風景が記憶に残っている。

旧下山田駅は、かなり古い駅舎が印象に残っているが、駅跡はWCなど小公園が整備されていたものの、鉄道跡を示すものは何もなかった。

旧上山田駅は、「山田生涯学習館」として整備され、図書館などが入っている。

図書館に入ってみたが、蔵書もそれなりにあり、しっかりした運営がされていることがうかがえる作りをしていたのは嬉しい。

生涯学習館の前には、踏切の警報機とともに、旧駅を示す説明板があった。

旧JR上山田線跡


上山田から豊前川崎方面は、結構遺構が残っていた。

↓雑草がなければ、今にも列車がやってきそうな感じの鉄橋

旧JR上山田線跡

↓旧熊ヶ畑駅から上山田寄りの地点。

ここはまだ現役の線路の如くだが、それもそのはず、年に1度、「トロッコフェスタ」が催され、トロッコ列車が走るらしい。左にあるのは、枕木を積み上げてつくったトロッコの乗降場か。
旧JR上山田線跡

旧国鉄才田駅跡

漆生線才田駅は、廃止直前のダイヤによれば、1日3往復しか列車が来ないという、漆生・上山田線の中でもっとも列車が少ない駅であった。

漆生線跡は、下鴨生から才田まではほぼ道路に整備されているようで、才田駅跡の手前で見つけたのがこれ。あわててレンタカーを停めた次第で。

旧国鉄才田駅跡

旧国鉄才田駅跡

(実際にこの位置にあったかどうかはともかくとして)よくぞ、盗られたり撤去されることなく残っていたという感じで、結構感動ものであった。(下の政党ポスターがいささか邪魔だが)

↓ホームと上屋は、廃止当時の姿のままと思われる。

旧国鉄才田駅跡

旧国鉄才田駅跡

↑この写真の手前(下山田側)には、レールも残っていた。

旧国鉄漆生駅跡

旧漆生駅跡も、公園となっていた。

旧国鉄漆生駅跡

かつて来た時は、入場券を買ってすぐ折り返してしまったので、結構年代ものの駅舎に魅かれたものの、それ以外の記憶はなくなっていた。

現地へ立つと、おぼろげながらも記憶がよみがえってきたが、ホームの位置だけは、写真を見ても思い出せなかった。

↓公園下の壁に埋め込まれている説明板
旧国鉄漆生駅跡

↓同じく、公園下の壁に埋め込まれている写真(以下全て同じ)。

公園の位置とこの写真を見ると、線路・ホームは道路・駅舎より高い位置にあるのだが、この記憶はさっぱりない。
旧国鉄漆生駅跡

↓この古い駅舎の雰囲気は、記憶に残っている。

旧国鉄漆生駅跡

↓1986(昭和61)年3月31日のさよなら列車。僕が乗ってから約3か月後のこと。
旧国鉄漆生駅跡

旧国鉄漆生線・鴨生駅跡

以前から気になっていた旧漆生・上山田線跡を訪ねた。

漆生線は、中学2年の冬休みに下鴨生~漆生間を往復しており、22年ぶりの再訪である。

鴨生駅跡は、公園となった。

旧国鉄漆生線・鴨生駅跡

旧国鉄漆生線・鴨生駅跡

日田彦山線の駅探訪

日田で関東の友人と別れ、日ごろなかなか降りられない日田彦山線の駅を巡ることに。

「鉄道に乗らない鉄道カメラマン」になったような気分・・・。

↓昭和時代で時が止まっているかのような雰囲気の大鶴駅

日田彦山線の駅探訪

↓福岡・大分県境の駅、宝珠山

日田彦山線の駅探訪

日田彦山線の駅探訪

↓ホームの上に県境がある
日田彦山線の駅探訪


↓静かなたたずまいの大行司駅

日田彦山線の駅探訪

九重“夢”大吊橋

温泉でくつろいだ翌日は、同じ九重町にある「日本一の大吊橋」、九重“夢”大吊橋へ。

九重“夢”大吊橋

↓対岸を眺める。
九重“夢”大吊橋

↓渡った後、振り返ると滝が見える。
九重“夢”大吊橋

↓同じ場所から、視線を橋のほうへ転じる

九重“夢”大吊橋

↓決して天気がよいとはいえない中、どこからこんなに来たんだ、と思うほどの人が。

九重“夢”大吊橋

と、淡々と紹介したが、実は僕は高所恐怖症。橋から真下は見ることができず、ひたすら前を向いて渡っていたようなわけで。

高所恐怖症だという割には、結構高いところへ行くことは好きだったりするのが自分でもよく分からんのだけど。

それでも、新しいだけあって造りがしっかりしている感じはあるので、怖さは奈良県十津川村の「谷瀬の吊橋」のほうがかなりのものだった。あちらは木製で、足元も、両脇も結構スリルのある造りだったから。

2007年7月15日 (日)

川底温泉「螢川荘」

今宵の宿は、九重町にある川底温泉「螢川荘」。

川底温泉・螢川荘

川底温泉・螢川荘

いい意味でひなびた宿で、この日は何と貸切。のんびりできて、きわめて結構であった。

(翌朝は、立ち寄り湯の人が結構いて、温泉の貸切状態は崩れた。)

接客してくれた婆さまが、商売的でなく、「故郷のおばあさん」的な雰囲気を醸しだしているのもよかった。

温泉は、狭い階段を下りた扉の向こうに。

川底温泉・螢川荘

湯船が3つあり、湯温がぬるめなのと、下が冷たく上がぬるいという、沸かしたてでかき混ぜていない自宅の風呂のようなのと、やや熱めなのとに分かれる。

お湯はいずれも上々で心地良いが、いわゆる「洗い場」のスペースが狭いというか、ないに等しい。お湯や水の蛇口もなく、1か所だけ水とお湯が沸いているところがあるので、強いて言えばここなのだろうが、頭や体を洗うのには不向きかも(シャンプーやボディーソープはある)。

まあ、温泉は本来浴びるもの、つかるものだから、原点に忠実と言えなくもない。


好みは分かれるとは思うが、温泉好きの人は一浴の価値はあると思う。



湯船の底は「川底」の名が示すように、川底にあるような石が敷いてあり、適度に足裏が刺激されて気持ちいい。

旧国鉄宮原線・町田駅跡

今宵の宿へ向かう途中に、旧国鉄宮原線跡がある。

2年前にも、同じ海の日三連休に同じメンバーでここを訪れている。このときは、肥後小国から豊後森へ向かっており、肥後小国、北里、麻生釣、町田駅跡に足を印している。

2年ぶりに訪れた町田駅跡は、変わっていなかった。


↓駅名標が健在。

旧国鉄宮原線・町田駅跡

↓線路跡は、生活道路になっている。
旧国鉄宮原線・町田駅跡

このままの状態をいつまでも保っていて欲しいなあ、と勝手ながら思います・・・。

耶馬溪線跡を訪ねて

「汽車ポッポ」を出て、耶馬溪線の終着だった守実温泉まで、廃線跡をたどった。

耶馬溪線の跡は、サイクリングロードになったり、国道に吸収されたりしている。サイクリングロードは結構鉄道が通っていた雰囲気をしのぶことができるし、所々残っている駅跡も往時をしのばせる。

写真を結構撮ったつもりが、保存に失敗したらしく、残っているものだけ紹介する。

(廃線跡を紹介しているHPは、検索すると結構あるので、詳しくはそちらをどうぞ)


↓旧野路駅そばに残っていた標識。

耶馬溪線跡を訪ねて

↓廃線跡ではないけど、沿線の有名どころ「青の洞門」。

耶馬溪線跡を訪ねて

↓下郷駅跡。サイクリングの休憩所となっている。
耶馬溪線跡を訪ねて

SLレストラン「汽車ポッポ」

「汐湯」を出た後は、1975(昭和50)年に廃止となった旧大分交通耶馬渓線の跡をたどる。

中津駅から2キロほど耶馬渓方面へ向かったところに、SLレストラン「汽車ポッポ」があり、ここで昼食。

実際に耶馬溪線を走っていた車両をレストランや、民宿として活用しており、ぜひとも訪れたいところであった。

食事もボリュームがあるもので、期待以上に良く、おすすめできる場所である。

SLレストラン「汽車ポッポ」

↓レストランの中には、こんなものも。
SLレストラン「汽車ポッポ」


SLレストラン「汽車ポッポ」

↑レストランとして使われている車両を外から見たのが、下の写真。
SLレストラン「汽車ポッポ」

↓民宿として使われている車両
SLレストラン「汽車ポッポ」

中津市・銭湯「汐湯」

中津市・銭湯「汐湯」
中津市・銭湯「汐湯」
台風は九州を離れたものの、台風一過とはゆかない天気の中、関東と関西の友人と小倉で合流し、レンタカーでの旅を始めた。

まず目指したのは、中津にある銭湯「汐湯」。

銭湯は、昔ながらの雰囲気で、昭和30年代にタイムスリップしたような感じ。お湯は文字どおり、ちょっとしょっぱい湯船と、普通のお湯の湯船があるが、どちらも気持ちよかった。

風呂上りのひとときは、休憩室でソフトクリームを食べたり、涼み台で心地良い風にあたりながら過ごす。


のんびりしているうち、ここのおかみさん(?)のご好意で、併設の割烹を見せてもらえることに。(2枚目の写真)

大正初期に建てられたものだそうで、なかなかの風格がある。ここの子どもが35畳の大広間を走り回っていたが、いまどきこれだけ広い部屋を持つ家は少ないだろう。ちなみに、割烹は完全予約制とのこと。


「汐湯」については、こちらのページが詳しい。僕たちがここを目指したのも、元はといえば関西の友人がこのページを見つけ、魅かれたことによる。

2007年7月14日 (土)

松本清張記念館

松本清張記念館
久々に再訪しました。

松本清張は昔から好きで、小学生か中学生のころから、家にあった「点と線」や「砂の器」、「日本の黒い霧」を読んでいたものです。
また、高校の図書館に「昭和史発掘」があって、よく借りて読みふけっていました。

そんなことを思い出しながら館内へ。

ちょうど上映されていた「日本の黒い霧」のドキュメンタリー映像に見入ったり、展示を丹念に見ているうちに、あっという間に時が経ってしまいました。

外へ出ると、風が少し強くなってきた感じ。早々に宿へ入ることにします。

嵐の旅立ち〜ひかり449号

嵐の旅立ち〜ひかり449号
台風4号が直撃しそうな中、よりによって九州へ向かっています。

今夜の船で旅立ちの予定を変更し、ひかりレールスターで早々に九州入りを目指します。

2007年7月12日 (木)

参議院選挙公示

今日から選挙戦が正式に始まった。

めちゃくちゃになっている今の政治をどうするか、有権者の判断が問われている。

そもそも、政治を「めちゃくちゃにした」責任は、有権者にあるのだ。

2年前のいわゆる「郵政選挙」で自民党を圧勝させた結果が、大して緊急性もない法案や、ろくに審議もしないで強行採決を連発する国会にし、キャッチフレーズとは逆に「美しくない」ことばかりやっている人物が首相になっている状況を生み出したのである。

今回の選挙では、ぜひとも冷静な判断かつそれなりの投票率を示してくれることを祈る。

そうでなければ、この国の未来は限りなく暗い。

2007年7月 9日 (月)

大相撲名古屋場所2日目観戦記

今年も休みを取り、朝から溜席で観戦してきました。

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←このようなのぼりも。

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←ここを通って入口へ。

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←入口はこんな感じ。

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↑午前中の館内はこの程度の観客です。

今日、午前中最も注目された取組は、序二段の「史上初、国立大学卒業生対決」。

愛知県出身、名古屋大卒の舛名大と、琉球大卒、角界最年長力士一ノ矢の対戦は、このときだけはたくさんのカメラや取材陣が土俵の周りに押し寄せ、序二段の取組としては異例の光景がみられました。

結果は、一ノ矢がベテランの余裕を見せた感じであっさり決着。ちょっと舛名大のほうが意識して体が動かなかったのかも。

今年は、名古屋場所が開催されてから50周年にあたるということで、記念展示が行われていました。

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↑今の会場の愛知県体育館に移る前は、非冷房の金山体育館(場所は、現在、市民会館があるところ)での開催ゆえ、氷柱(写真左)を置いたり、酸素ボンベ(写真右)から酸素を放出したりして暑さをしのいだらしいですが、気休め程度にしかならなかったという話も。



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↑昭和33年に第1回の本場所が開かれた時の「御免札」と戦前に名古屋で準場所が開かれた時の「板番付」。





新横綱白鵬の土俵入り。ちょうどせり上がりが終わったところ。

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今日は、両横綱は危なげなく勝ったというところ。大関陣は、魁皇がよもやの黒星。

琴光喜は、落ち着いた相撲で連勝。ともかくも、序盤をいい形で乗り切って、昇進ムードを自分で引き寄せて欲しいもの。

まだ2日目が終わったばかりでなんともいえない部分が多いですが、名古屋場所50年にふさわしい、いい内容の場所になることを願います。

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←三段目力士、男女ノ里による弓取り式で、本日の打ち出し。

2007年7月 7日 (土)

博物館と美術館のはしご

土俵祭りを見た後、招待券を手に入れていた博物館と美術館の展覧会を見に行きました。


博物館は、「城からのぞむ尾張の戦国時代」。

博物館と美術館のはしご

割と地味な企画でしたが、織田信長のあまり見たことがない肖像画なんかを見ることができて、なかなか良かったです。


美術館は、「ダリ展」。

博物館と美術館のはしご

こちらは当日券売り場にも長い列が伸びているし、会場に入ればすごい人で、とてもゆっくり鑑賞する気分になれず、早々に退散してきました。
まあ、大入りは結構なことですが、今日はここでいっぺんに疲れたような感じでした・・・。

大相撲名古屋場所 土俵祭

今年も見に行ってきました。


大相撲名古屋場所  土俵祭

↑これから、東西南北に献酒をする。

大相撲名古屋場所  土俵祭

↑立行司式守伊之助による「方屋開口」の口上

大相撲名古屋場所  土俵祭

↑土俵に鎮め物を埋納する

大相撲名古屋場所  土俵祭

↑触れ太鼓が土俵周りを3周して、儀式が終わる


こうして神を迎え、土俵は神聖な場となりました。

2007年7月 3日 (火)

驚き、呆れ、そして怒り

今日このタイトルをつけるからには、記事は言うまでもなく久間章生防衛大臣の暴言から辞任に至るまでのことについてである。

この記事を書くこと自体が不愉快ではあるが、記録しておく必要があると思うので、あえて書く。


まず、「原爆投下はしょうがない」発言。

発言がいかにひどいものであるかは、改めて書く必要もないだろうから触れないが、あまり触れられていなさそうな側面から1点触れておきたい。

そもそも、戦争を早く終結していれば(もっといえば、始めなければ)、原爆投下のみならず、沖縄の悲惨な戦いも、東京大空襲などの都市部への無差別爆撃もなかったのである。この3つとも、1945(昭和20)年3月以降のできごとである。

さらに言えば、ソ連の参戦以前に戦争が終わっていたら、中国残留孤児やシベリア抑留もなかった。

情勢が全く読めなかった当時の戦争指導者の罪は大きく、彼らの過ちが戦争をより悲惨なものにしたということは明らかだ。

この点からしても、「原爆投下はしょうがない」などという論理はありえない。どの側面から見ても、人が引き起こした犯罪である。


また、辞任の弁を述べる久間氏の発言もひどかった。終始「与党に迷惑がかかる」などと、選挙への影響を気にする発言のみで、自分の発言がなぜ問題になっているのか全く理解していないということをさらけだした。こんな人が大臣だったかと思うと情けない限り。


事の重大さを全く理解していない点では、安倍首相も全く同じ。

当初はどこをどう読めばそうなるのかと首を傾げたくなる「米国の考え方を述べただけ」と、発言を擁護し、翌日になっても発言への注意にとどまるなど、対応が全くなっていない。この発言を擁護する余地がどこにあるのか、首相お得意の言い方をすれば「全く理解できない」。

(安倍首相や小泉前首相は、自分の意見に反対する立場からの意見に対し、しばしばこのような言い方をする。首相としては狭量というか、その器でないことを自ら告白しているようなものだ。まあ、今回こそこの言葉を使う場面であったと思うのだが。)

「とんでもない発言だ」と即刻罷免していれば少しは株も上がっただろうが、全く適切な対応ができず、無知と無能を証明する結果になった。


就任以来、言葉とは裏腹に美しくないことばかりし続けるような首相には、即刻退陣してもらいたい。

このままでは、この国は破滅に向かう。

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