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2007年8月

2007年8月27日 (月)

安倍改造内閣発足

まあ、一応触れておきましょうかね。


一口に言えば、どんよりと重苦しい顔触れの内閣。「人心一新」という割には、留任も多いし、清新さに欠ける顔触れの数々。

特に、町村外相なぞ最悪ですな。この人の言動には、どうも「自分は特別な人間だ」と言わんばかりの偉そうなというか、人を見下したような感じがするので。大した仕事も出来そうにないのに、態度だけは大物。大嫌いです。


そんな中で、僕が唯一期待するのが、前岩手県知事の増田総務相。知事時代から、地方分権の推進を唱えていた人なんで、大臣としてどの程度力を発揮できるのか(あるいはできないのか)、注目したいと思います。

もう一人、人物としてはあんまり好きじゃないけど、注目してるのは舛添厚労相。もともとは国際政治学者なのに、実母の介護経験からすっかり「福祉の人」になりました。とかく問題を抱える省庁だけに、どのような手腕を発揮するのか(あるいはできないのか)は、注目しています。

この2人以外は、見るべきものはないでしょう。大体、いまだに安倍氏が首相であること自体が信じられないんでねえ。記者会見でも、参院選で否定されたはずの「戦後レジーム」云々を未練がましくのたまうなど、空気の読めないのは相変わらずのようだし。


まあ、何か月持つのかも含め、とりあえずはお手並みを拝見というところでしょうか。

2007年8月26日 (日)

ふるさと

週末を、母方の在所で過ごしました。

祖母が健在のころは(祖父は僕が2歳の時に他界)、お盆になると親戚が集まって、大人は飲み明かし、子どもは山や川へ行ってよく遊んだものでした。

祖母が他界して、在所の家は長いこと空き家になっていたのですが、このほど、家をリフォームして、「みんなの別荘」として再生しました。

ふるさと

久しぶりに、この家に親戚中が集まり、楽しく、のんびりした週末を過ごすことができました。

ふるさと

↑宴を彩った三河・木曽地方の名物「五平餅」。帰省すると必ず食べるのがこれです。

ふるさと

↑日曜日の朝は、こんな感じでのんびりと・・・。

2007年8月19日 (日)

夏の風物詩

甲子園球場で高校野球を観てきました。

夏の風物詩

かつては、陽のあたるところで平気で観てましたが、最近はつらくなってきたので、今日も一塁側の大鉄傘の下に陣取っていました。

陽射しも強く、暑い中プレーし、応援する高校生たちにはすごいなあ、などと思ってしまいます・・・。

夏の風物詩

夏の風物詩

今日は準々決勝2試合。

第1試合の佐賀北ー帝京は、互いに一歩も譲らぬ好勝負。

帝京のセカンドが二塁ベース寄りのゴロをキャッチ、すかさずショートへトスし、ショートがファーストへ送球してアウト(セカンドが自分でファーストへ送球してたらおそらくセーフ)という、ドラゴンズの荒木・井端ばりの好プレーを見せれば、佐賀北のセンターは大飛球を好捕など、双方とも堅い守備とピッチャーの頑張りで再三のピンチをしのぎます。

スクイズも帝京が2回、佐賀北が1回試みたものの、帝京はピッチャーの好守備に阻まれ、佐賀北は空振りして失敗と、思わず肩に力の入る展開でした。

結局、延長13回に佐賀北が2死走者なしからの3連打で4-3のサヨナラ勝ち。

やっぱりこの組み合わせだと佐賀北のほうにみんな肩入れしたくなるようで、観客の大多数が佐賀北のチャンスに歓声を送り、チャンスが潰えるとため息という感じでした。

サヨナラの瞬間は大歓声と拍手に包まれ、最後は両チームに暖かい拍手が送られました。

こんないい試合を見ることができたのは、とてもラッキーでした。

夏の風物詩

第2試合は、今治西-広陵という、しまなみ街道でつながる隣県対決。

こちらは、広陵がそつのない攻撃を見せ、7-1で快勝でした。

(写真は、試合終了後校歌を歌う広陵の選手たちと、1塁側ベンチ前で整列する今治北の選手たち)



高校野球も残すところあと3日。これが終わると、「夏ももうすぐ終りか・・・」という気分になります。

2007年8月15日 (水)

終戦の日に~ある候補者への想い

時の流れは速いもんで、先の参議院議員選挙の話をしようとすると、ずいぶん昔のことに触れるような錯覚に陥る。

しかしながら、終戦の日に際して是非にも書いておきたいことなので、私情が強くなるかもしれないが、あえて書く。


愛知選挙区は、自・民・公・共・社の主要5政党から候補者が立ち、全国から注目される選挙区となった。結果は民主2・自民1で議席を獲得し、公明党は惜敗、共産党は善戦及ばず、社民党は主要政党とは思えぬ大惨敗、であった。

その大惨敗した社民党公認で立候補したのが、平山良平先生である。

彼を「先生」と呼ぶのは、政治家だからとりあえずそう言っておくとか、また逆に揶揄する意味で言っているとかではない。僕が中学3年生の時のクラス担任であり、今は現役の教員ではなくても、僕にとってはいつまでも「先生」だからである。



先生は、当時(20年前)「変わり者」とか「協調性がない」などと言われていた。

理由のひとつが、「職員室に喫煙スペースを設けるべし」と、裁判を起こしたことだ。

タバコを吸うなとは言わないが、吸わないものが害を受けないような措置を講じて欲しいという趣旨だったはずで、現在は名古屋市立の学校の敷地内が全面禁煙になっていることを考えると隔世の感がある。

今考えれば、先生にはずいぶん先見の明があったともいえるが、当時は異端視されていたわけである。

かといって、生徒から敬遠されていたかといえば、そんなことはなかった。生徒の話は結構聞いてくれたし、どちらかといえば親しみやすい先生だったと思う。

僕なども、放課後に教室に残って、生意気にも「国鉄分割民営は是か非か」などという話題で議論を戦わせた記憶があるが、正面から受けてくれた。生徒を大人扱いしてくれたことは確かだ。


あと、道徳の時間に在日朝鮮人差別の問題や、戦争にまつわる話(特に中国・朝鮮などへの加害について)に触れられたりしたのも印象に残っている。

僕が日本の近現代史や東アジア情勢に関心を持ち続けたのも、先生の影響があったのだと思う。(何せ、大学では日本近現代政治史を専攻し、卒業論文のテーマは「日本人の韓国観」なのだから)



卒業の時に、先生から贈られたものが2つある。

ひとつは、クラス全員へのことばだったと思うが、「一歩を踏み出せ」。

とにかく、まず一歩を踏み出すところから全てが始まる。一歩を踏み出さない限りは何も始まらない、という意味だろう。いつもそうしてきたとは残念ながら言えないが、今でも心に留めていることばであることは事実だ。

もうひとつは、これ。

無題

1987年のカレンダーで、当時反アパルトヘイト運動により獄中にいた南アフリカの黒人開放指導者、ネルソン・マンデラ(のち大統領)の解放を願うものである。

教室に貼ってあった物で、経緯はよく覚えていないが、なぜか僕が卒業の時にもらって、自室に貼って現在に至っている。(絵の下にカレンダーがあったのだが、切り取ってしまったので、ポスターに見える)



卒業後は、一度も先生にお目にかかることはなかったのだが、この3月で、定年まで1年を残して退職されたことを知り、ついで参議院選挙への立候補を知ることとなった。

社民党からの立候補では、正直なところ当選はできないと思ったが、そんな戦いに挑もうとするあたりは、いかにも先生らしいと思った。また、「憲法があぶない、憲法9条を守らねば」という思いが、「一歩を踏み出す」ことになったのだろうとも。

しかしながら、選挙の応援などができない職業に就いているので、投票する以外に何もできることはなく、静観するしかなかった。


それでも、選挙前の公開討論会で久々に姿を拝見した。遠目で見た印象と、声の感じはやっぱり年を取ったなあ、と思ったものの、先生がかもし出す雰囲気は20年前と変わっていなかった。


討論会の時には会話するチャンスなどないまま終わったが、選挙戦終盤のある日、仕事帰りに栄に寄ったら、先生が街頭演説をしているのに出会った。

これはとばかり、演説が終わるのを待って、先生のもとへ駆け寄った。

最初僕が誰だか分からなかったようで(そりゃあそうでしょう。20年前は背も小さく、やせていたのが、今ではもっともらしく、顔も横幅もいささか大きくなってしまったし・・・)、名乗ると「あの小さかった・・・」と驚かれてしまった。

先生はずいぶん日に焼けておられ、選挙戦で元気になられたのか、近くで拝見すると思っていたほど年齢を感じなかった。

短い間だったが、昔話などもした。ネルソンマンデラのカレンダーを僕に託したことも覚えておられ、「まだ大切にしています」と話すと、とても喜んでくださった。


選挙結果は、69,853票で6位。5位の共産党・八田ひろ子さんの得票が293,607票だから、まさに惨敗である。

正直、今回は誰に投票するか迷った。基本的に、当選して欲しい人に入れるのだが、一方で自分の1票を「死に票」にしないように、自分の考えに近く、かつ当選の確率が少しでも高い人にということも考えて投票するので、今回の選挙でも、共産党の八田さんか民主党の谷岡さんに投票することも考えないではなかった。

結局は、先生への思いが勝った。先生が10万票くらい獲得すれば、護憲へのメッセージということにはなるだろうと思ったのだが・・・。あまりにも過酷な数字であった。

まあ、これも当然の結果かもしれない。僕が先生に会った栄でも全然動員などはなかったし、選挙戦を通じて、愛知の社民党は主要政党としての体をなしていないような気がしたのは確かだ。失礼ながら、無所属の候補か、地方のミニ政党の候補のような感じだったもの。(矛盾するようだが、先生には大きい組織よりも、そのほうが似合うとも思うが・・・)


先生が今後どのような活動をされるのかは分からないが、憲法や平和を脅かすような動きには断固声を上げ続けるだろうと思う。僕自身、先生ほどの行動はとてもできないが、少しでもできることはやりたいと思う。


戦後何十年経とうが、守らなければならないものは厳然としてある。それを「戦後レジームからの脱却」などという無知のかたまりのようなことをのたまう総理大臣に壊されることはあってはならない。

(今日の河野洋平衆議院議長の「追悼の辞」はなかなか心に残るものだった)

2007年8月13日 (月)

相撲博物館

相撲博物館は、江戸東京博物館の隣にある国技館内にあります。

相撲博物館

「本場所開催時は相撲観戦客しか入場できない」「本場所開催時以外は無料で入れるけど土日休み」というものすごい施設です。

相撲博物館

現在の展示は「ライバル展」。栃若・柏鵬・北玉・輪湖の化粧まわしや全対戦結果なんかが紹介されていまして、まずまずの内容。

相撲博物館

博物館として、結構いいものを所蔵しているようなので、もう少し多くの人に見せることを考えないともったいないと思うんですがねえ。

江戸東京博物館

江戸東京博物館で「大鉄道博覧会」が開かれていたので、行ってみました。

江戸東京博物館

江戸東京博物館



会場内は大盛況。

江戸東京博物館

江戸東京博物館

展示もそれなりのものが出ていて、個人的には納得の内容。
特に、時代を伝えるという意味で、「赤帽」と「はとガール」の紹介がよかったなと思いました。

常設展では「生誕150周年記念 後藤新平展」もあって、こちらも一見の価値はありました。

2007年8月12日 (日)

JR久里浜駅

JR久里浜駅
JR久里浜駅
この駅は、8年前にJR全線完乗をした思い出の駅。

それ以来の再訪でしたが、駅舎は当時のまま変わっていませんでした。

東京湾フェリー

浜金谷から久里浜へ。

東京湾フェリー

東京湾フェリー

列車から乗りかえる人も多く、お盆とあってか、結構船内はにぎやか。

東京湾フェリー

天気も良く、おだやかな航海です。

東京湾フェリー

銚子電鉄

多くの人で賑わっていました。

銚子電鉄


終着駅外川は、昔ながらのたたずまい。

銚子電鉄

犬吠駅は、一転観光地らしい雰囲気。

銚子電鉄

おみやげには、名物「ぬれ煎餅」を買ったことはいうまでもありません・・・。

犬吠埼灯台

銚子電鉄に乗って、犬吠埼灯台を目指しました。

犬吠埼灯台

犬吠埼灯台

灯台の中へ入り、99段の階段を上ると・・・
犬吠埼灯台

こんな景色が開けました。

犬吠埼灯台

帰り道には、近くの京成ホテルにあった温泉でひと浴び。

犬吠埼灯台

2007年8月11日 (土)

飯坂温泉

福島交通の電車に揺られて飯坂温泉へ。

飯坂温泉

外湯「鯖湖湯」に入ったら・・・
飯坂温泉

とにかく熱い!

話には聞いていたものの、想像以上。
下半身だけなら大丈夫でしたが、肩までつかろうとすると、体がもちませんでした。

これでも他の外湯よりは少し温度が低いそうで。

熱い湯が好きな人はさぞ気持ちいいことでしょうが…。

せっかく仙台に来たので

せっかく仙台に来たので
こんな駅弁を食べてみました。

1100円はちょっと高いけど、牛たんは5枚入っていておいしく、温めて食べることができるので、よしとしましょうか。

仙台市電保存館

仙台の地下鉄の南半分が未乗だったので、富沢へ。

駅にこのような案内があったので、迷わず行くことに。

仙台市電保存館



連絡バスというより、連絡ワゴン車で運ばれました。

仙台市電保存館

小さな施設でしたが、市電が3両保存されており、車内にも入ることができて、なかなかめっけものでした。

仙台市電保存館

2007年8月10日 (金)

フルキャストスタジアム宮城

東北楽天vs千葉ロッテの試合を見にきました。

フルキャストスタジアム宮城

この球場は、楽天の本拠地になる前に一度来たことがあります。
そのときは地方の古びた球場だったのが、すっかり雰囲気が変わりました。

フルキャストスタジアム宮城

5回終了後には花火があがりました。
フルキャストスタジアム宮城

試合は4時間の熱戦。

楽天先発・ルーキー田中将大は、5回6失点で10勝目はお預け。

ロッテ先発清水直行も精彩を欠き、終盤まで持たず。

結局、楽天が5点差を逆転し、7−6でサヨナラ勝ち。

かなり面白い試合で、なおかつ楽天勝利、球場の盛り上がりも最高潮でした。

フルキャストスタジアム宮城

↑サヨナラ勝ちを決め喜ぶ観客と、サヨナラヒットを放った草野のもとへ集まる楽天の選手たち


それにしても、6点もとられながら負けがつかない田中は、やっぱり並の選手と違う何かを持っているんでしょうね。まあ次回はきっちり立て直してピッチングを見せてもらいたいもんですが。


試合後の野村監督のコメントが楽しみです。

(8月11日補足:野村監督のコメントは、「今日は悪魔の子かと思ったが、やっぱり神の子だったか」と言いつつも、内容の悪さにはきっちり苦言を呈した由。)

仙台空港鉄道

に初乗りしました。

仙台空港鉄道

仙台空港鉄道

本当は飛行機で着くか乗るかしたかったところですが、鉄道で空港へ往復しただけという結果になりました。

2007年8月 9日 (木)

今週は東日本へ

この夏3度目の旅立ちは、「ムーンライトながら92号」で。

今回は、お天気を気にすることなく旅立てて、やれやれ。

今週は東日本へ

今週は東日本へ

長崎原爆の日

「日本政府は、被爆国の政府として、日本国憲法の平和と不戦の理念にもとづき、国際社会において、核兵器廃絶に向けて、強いリーダーシップを発揮してください。

(中略)

 今日、被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られるなか、単に非核三原則を国是とするだけではなく、その法制化こそが必要です。
 長年にわたり放射線障害や心の不安に苦しんでいる国内外の被爆者の実情に目を向け、援護施策のさらなる充実に早急に取り組んでください。被爆者の体験を核兵器廃絶の原点として、その非人道性と残虐性を世界に伝え、核兵器の使用はいかなる理由があっても許されないことを訴えてください。」

長崎平和宣言の一部である。


「唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。」

こちらは、広島平和宣言の一部。


それぞれ全文を読んでみると、日本の政府というのは、いかに「唯一の被爆国」としての役割を果たしていないかを改めて思い知らされ、被爆地出身の政治家でさえそれを全く認識していない人がいるということに愕然とする。

安倍首相は式典での挨拶で、

「今後とも、憲法の規定を順守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げる」

「わが国は、人類史上唯一の被爆国として、この悲惨な経験を国際社会に語り継いでいく責任がある」

「国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、全力で取り組む」

と発言しているが、改憲を公言している人に「憲法の規定を順守」などといわれても、説得力を持たない。言葉だけが踊っている感じで、寒々としたものを感じる。

本当にこのように思うのならば、言葉だけでなく具体的な姿勢を示して欲しい。

たとえば、洞爺湖でサミットをするのも結構だが、広島や長崎でサミットを行うという発想はなぜ起きないのだろうか。

各国首脳に平和公園や資料館を見てもらうことによって、被爆国日本のメッセージになると思うのだが、そのような発想をする政治家にお目にかからないのは残念である。

2007年8月 6日 (月)

広島原爆の日

「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」


平和公園にある原爆死没者慰霊碑に刻まれた文字であるが、どうして「被害者」である広島市民が「過ち」と刻んだのか。

この言葉の意味をよく心に刻む必要があると思う。


それはすなわち、原爆投下に至った原因を考えること、そして戦争をしないという誓いをすることにつながる。



安倍首相が原爆症基準の緩和を検討すると表明したが、一国の首相が口にした以上は、間違っても人気取りのためだけに利用するなどということがないように、これ以上被爆者の心を踏みにじることのないように、きちんとした対処を望みたい。

2007年8月 5日 (日)

宇野駅

宇野駅
かつては鉄道の四国への玄関口だった宇野へ寄り道。

昔日の面影はなく、「普通の駅」になっています。

宇高連絡船をしのんでフェリーに乗りたいところでしたが、今回は断念して折り返すだけに留めました。

アンパンマントロッコ

丸亀から児島まで乗ってみました。

アンパンマントロッコ

アンパンマントロッコ

席番表示もアンパンマン。

アンパンマントロッコ


車両の下がガラス張りになっていて、橋の上から真下の海が見えます。

アンパンマントロッコ

アンパンマントロッコ

瀬戸大橋を風に吹かれて渡るのはとても気持ちよかったです。

2007年8月 4日 (土)

1年に2日しか列車がとまらない駅

山陰から四国へ移動し、予讃線津島ノ宮に降りました。

1年に2日しか列車がとまらない駅

この駅は、向かいの島にある津嶋神社で夏季大祭がある8月4日・5日だけ営業する臨時駅。

一度降りてみたいと思っていましたが、今日ようやく願いがかないました。

1年に2日しか列車がとまらない駅

神社は子どもの守り神だそうで、たくさんの親子連れで賑わっていました。


1年に2日しか列車がとまらない駅

これぞ日本の夏、お祭りらしい雰囲気を感じることができました。

出雲坂根付近の風景

おなじみ「延命水」

出雲坂根付近の風景

年代物の3段式スイッチバックの案内板

出雲坂根付近の風景

スイッチバック2段目と3段目の折り返し地点
(左が三井野原方:3段目、右が出雲坂根方:2段目)

出雲坂根付近の風景

三井野原手前で見える国道314号線「奥出雲おろちループ」

出雲坂根付近の風景

備後落合駅にて

備後落合駅にて

備後落合駅にて
小休止中。

乗り換えの列車まで時間があるので、出雲坂根まで往復して時間をつぶします。

このへんは、青春18きっぷなので気楽なところです。

「奥出雲おろち号」乗車中

「奥出雲おろち号」乗車中

木次発車時は半分位の乗車率だったトロッコ車両も・・・
「奥出雲おろち号」乗車中

出雲横田で団体客が乗って満員になりました。
「奥出雲おろち号」乗車中

車内販売で買ったもの。

木次コーヒー牛乳
仁多牛弁当

「奥出雲おろち号」乗車中

そして、亀嵩駅のそば。

「奥出雲おろち号」乗車中

宍道駅の乗り換え案内

宍道駅の乗り換え案内
「広島」というのが時代を感じます。

なぜ広島が出てくるのかわからない人も多いんだろうなあ…。

2007年8月 3日 (金)

今日の締めは駅前温泉

今日は出雲市泊まり。

出雲市駅前に「出雲駅前温泉 らんぷの湯」なる施設ができており、天然温泉だったので迷わず入浴。

今日の締めは駅前温泉

今日の締めは駅前温泉

気持ちよく一日を締めることができました。

荒天の石見銀山

世界遺産に登録された石見銀山を訪れました。

銀山のある大森界隈は、歩くかレンタサイクルでめぐるかしたい雰囲気は十分あるのですが、とにかく風雨が強い!

荒天の石見銀山

荒天の石見銀山

荒天の石見銀山

代官所跡にある資料館と、唯一通り抜け可能な龍源寺間歩をさっとまわり、古い町並みを少しだけ歩くにとどめました。


荒天の石見銀山

天気が悪くても観光客が多いのは、夏休みに加え、やはり世界遺産効果でしょうか。
龍源寺間歩へのバスは満員でした。

また、まともな天気の時に来たいと思います。

JR三江線貸切列車

JR三江線貸切列車

始発列車が2時間20分遅れで、三次駅の片隅からひっそりと発車。

JR三江線貸切列車

十数年ぶりに乗りましたが、石見川本で降りるまで乗客は僕だけ。

口羽で交換した三次ゆきには乗客がいたけれど、それでも4、5人程度。

何とも寂しい限りですが、今日は列車が動いたことに感謝するのみです。

三次駅にて

定刻6時に三次駅着。

三次駅にて

本来は間に合わない三江線始発列車に乗れてしまうことに。
三次駅にて

4時間待ちのはずが2時間になったので、助かることは確かですが…。

2007年8月 2日 (木)

旅立ちは栄から

旅立ちは栄から

栄バスターミナルから、広島駅ゆき「セレナーデ」で旅立ち。

旅立ちは栄から

夜行バスに栄から乗るのは初めてです。

台風5号接近で運休するかと気をもみましたが、まずは無事出発。

朝青龍に2場所出場停止処分

横綱朝青龍が怪我を理由に夏巡業を休場するにもかかわらず、モンゴルへ無断帰国したばかりか、サッカーに興じていたことが明らかになり、日本相撲協会は、朝青龍に秋場所と九州場所の出場停止と九州場所千秋楽までの謹慎、および減俸3か月、30%の処分を下した。

処分自体は当然で、内容もまあ妥当なものだろう。秋場所1場所だけでなく、九州も出場停止にしたのは厳しいものだと思う。

朝青龍が、現段階でこの処分をどこまで重くとらえているのかは分からないが、本場所に出場できる状態でありながら出場できない、それが2場所も続くということの重みは、これからだんだん感じていくのではなかろうか。

これまでも再三行いの悪さを指摘されてきたにもかかわらず、ここまで至ってしまったのは、朝青龍を「勝てば何をしてもいい」と増長させてしまった結果に他ならない。

一番の原因は、師匠である高砂親方に全く管理能力がないことだ。僕自身は、朝青龍がああなってしまった元凶はこの人だと思っている。「強いだけじゃダメ」ということを教えてこなかったツケがまわってきているわけで、それを考えれば高砂親方への処分「減給30%、4か月」は大甘だ。平年寄に降格してもいいくらいだと思う。

高砂親方任せにして何もしてこなかった協会の責任も重い。協会がこれまで毅然とした態度をとってこなかったことも、朝青龍が増長する一因となっていることをどれだけ理解しているかは疑わしい。元大関の親方ではカバーできないことがあれば、部屋の垣根を越えて、元横綱の親方が厳しく指導することも必要だろう。

本来なら、協会の看板である横綱の不祥事ゆえ、処分の発表も北の湖理事長自ら行うべきではなかったか。また、理事長自ら何らかの責任とる姿勢をを示してもいいと思うのだが、この辺に協会の甘さを感じる。

何よりも、せっかく横綱が2人になってさあこれから、というときの不祥事は、夏巡業の開催地のファンや、年に1度の本場所開催地である九州のファンを裏切ることになった。

このことを朝青龍も、協会も重く受け止めて欲しい。

参議院選挙が終わって

想像以上の与党の負けっぷりで、衝撃がいまだにおさまらない感じである。

選挙結果は、個人的には芳しいものであった。

自民党が40議席を下回らないようではダメだ、と思っていたが、反面、希望どおりには行かず、40議席半ばは確保してしまうのかという危惧もあっただけに、ある種まともな結果にほっとしたものである。

結果を受けて、安倍首相は「まさかの」続投宣言。

これも、僕の予想は半々で、「30台の議席でも政権にしがみつきそう」というのと、「いくら何でも惨敗では首相の座にいられないだろう」というものと。こちらは悪いほうの予想が当たってしまった。


今回の選挙で分かったことは、安倍晋三という人は首相の器でないということである。僕はもともと彼の首相としての資質に疑問を持っていたが、改めて思い知った次第で。

まず、選挙結果は安倍政権に退場を突きつけた、という以外にどういう解釈が可能なのだろうか。そもそもは「首相にふさわしいのは私か小沢か」と、政権選択を国民に求めたのは彼自身である。

また、「安倍内閣の基本路線は国民の理解を得ている。遊説での聴衆の反応からそう感じた」とも言っているが、おめでたい限り。遊説に集まる人の大半は支持者であろうから、当たり前のことであり、それをもとに「国民の理解」というのはちゃんちゃらおかしい。

「人心一新が国民の声だ」とも言うが、「人心一新」の対象に彼自身が含まれていないというのもずいぶん手前勝手な解釈だ。

あげくの果てに、今頃になって赤城農水大臣の「更迭」。赤城というのもどうしようもない男だが、首相も自分の都合だけで選挙前は更迭を拒み、結局は数々の疑惑にまともに答えさせることなく切り捨ててしまった、という感じで、無責任の極みである。

要するに、彼は政治を私物化しているのだ。自分がやりたいことのために、選挙結果を正視せず、部下は切り捨てても政権にしがみつく。これほど選挙を軽視し、国民を馬鹿にした首相はいなかったのではないか。

書けば書くほど怒りが増すし、きりがないのでこの辺でやめにするが、ともかくも、危機管理能力もなく、まともな判断能力もないような人物が首相であることが恥ずかしく、悲しい限りである。

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