終戦の日に~ある候補者への想い
時の流れは速いもんで、先の参議院議員選挙の話をしようとすると、ずいぶん昔のことに触れるような錯覚に陥る。
しかしながら、終戦の日に際して是非にも書いておきたいことなので、私情が強くなるかもしれないが、あえて書く。
愛知選挙区は、自・民・公・共・社の主要5政党から候補者が立ち、全国から注目される選挙区となった。結果は民主2・自民1で議席を獲得し、公明党は惜敗、共産党は善戦及ばず、社民党は主要政党とは思えぬ大惨敗、であった。
その大惨敗した社民党公認で立候補したのが、平山良平先生である。
彼を「先生」と呼ぶのは、政治家だからとりあえずそう言っておくとか、また逆に揶揄する意味で言っているとかではない。僕が中学3年生の時のクラス担任であり、今は現役の教員ではなくても、僕にとってはいつまでも「先生」だからである。
先生は、当時(20年前)「変わり者」とか「協調性がない」などと言われていた。
理由のひとつが、「職員室に喫煙スペースを設けるべし」と、裁判を起こしたことだ。
タバコを吸うなとは言わないが、吸わないものが害を受けないような措置を講じて欲しいという趣旨だったはずで、現在は名古屋市立の学校の敷地内が全面禁煙になっていることを考えると隔世の感がある。
今考えれば、先生にはずいぶん先見の明があったともいえるが、当時は異端視されていたわけである。
かといって、生徒から敬遠されていたかといえば、そんなことはなかった。生徒の話は結構聞いてくれたし、どちらかといえば親しみやすい先生だったと思う。
僕なども、放課後に教室に残って、生意気にも「国鉄分割民営は是か非か」などという話題で議論を戦わせた記憶があるが、正面から受けてくれた。生徒を大人扱いしてくれたことは確かだ。
あと、道徳の時間に在日朝鮮人差別の問題や、戦争にまつわる話(特に中国・朝鮮などへの加害について)に触れられたりしたのも印象に残っている。
僕が日本の近現代史や東アジア情勢に関心を持ち続けたのも、先生の影響があったのだと思う。(何せ、大学では日本近現代政治史を専攻し、卒業論文のテーマは「日本人の韓国観」なのだから)
卒業の時に、先生から贈られたものが2つある。
ひとつは、クラス全員へのことばだったと思うが、「一歩を踏み出せ」。
とにかく、まず一歩を踏み出すところから全てが始まる。一歩を踏み出さない限りは何も始まらない、という意味だろう。いつもそうしてきたとは残念ながら言えないが、今でも心に留めていることばであることは事実だ。
もうひとつは、これ。
1987年のカレンダーで、当時反アパルトヘイト運動により獄中にいた南アフリカの黒人開放指導者、ネルソン・マンデラ(のち大統領)の解放を願うものである。
教室に貼ってあった物で、経緯はよく覚えていないが、なぜか僕が卒業の時にもらって、自室に貼って現在に至っている。(絵の下にカレンダーがあったのだが、切り取ってしまったので、ポスターに見える)
卒業後は、一度も先生にお目にかかることはなかったのだが、この3月で、定年まで1年を残して退職されたことを知り、ついで参議院選挙への立候補を知ることとなった。
社民党からの立候補では、正直なところ当選はできないと思ったが、そんな戦いに挑もうとするあたりは、いかにも先生らしいと思った。また、「憲法があぶない、憲法9条を守らねば」という思いが、「一歩を踏み出す」ことになったのだろうとも。
しかしながら、選挙の応援などができない職業に就いているので、投票する以外に何もできることはなく、静観するしかなかった。
それでも、選挙前の公開討論会で久々に姿を拝見した。遠目で見た印象と、声の感じはやっぱり年を取ったなあ、と思ったものの、先生がかもし出す雰囲気は20年前と変わっていなかった。
討論会の時には会話するチャンスなどないまま終わったが、選挙戦終盤のある日、仕事帰りに栄に寄ったら、先生が街頭演説をしているのに出会った。
これはとばかり、演説が終わるのを待って、先生のもとへ駆け寄った。
最初僕が誰だか分からなかったようで(そりゃあそうでしょう。20年前は背も小さく、やせていたのが、今ではもっともらしく、顔も横幅もいささか大きくなってしまったし・・・)、名乗ると「あの小さかった・・・」と驚かれてしまった。
先生はずいぶん日に焼けておられ、選挙戦で元気になられたのか、近くで拝見すると思っていたほど年齢を感じなかった。
短い間だったが、昔話などもした。ネルソンマンデラのカレンダーを僕に託したことも覚えておられ、「まだ大切にしています」と話すと、とても喜んでくださった。
選挙結果は、69,853票で6位。5位の共産党・八田ひろ子さんの得票が293,607票だから、まさに惨敗である。
正直、今回は誰に投票するか迷った。基本的に、当選して欲しい人に入れるのだが、一方で自分の1票を「死に票」にしないように、自分の考えに近く、かつ当選の確率が少しでも高い人にということも考えて投票するので、今回の選挙でも、共産党の八田さんか民主党の谷岡さんに投票することも考えないではなかった。
結局は、先生への思いが勝った。先生が10万票くらい獲得すれば、護憲へのメッセージということにはなるだろうと思ったのだが・・・。あまりにも過酷な数字であった。
まあ、これも当然の結果かもしれない。僕が先生に会った栄でも全然動員などはなかったし、選挙戦を通じて、愛知の社民党は主要政党としての体をなしていないような気がしたのは確かだ。失礼ながら、無所属の候補か、地方のミニ政党の候補のような感じだったもの。(矛盾するようだが、先生には大きい組織よりも、そのほうが似合うとも思うが・・・)
先生が今後どのような活動をされるのかは分からないが、憲法や平和を脅かすような動きには断固声を上げ続けるだろうと思う。僕自身、先生ほどの行動はとてもできないが、少しでもできることはやりたいと思う。
戦後何十年経とうが、守らなければならないものは厳然としてある。それを「戦後レジームからの脱却」などという無知のかたまりのようなことをのたまう総理大臣に壊されることはあってはならない。
(今日の河野洋平衆議院議長の「追悼の辞」はなかなか心に残るものだった)
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