サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月

2007年9月29日 (土)

北海道日本ハム パリーグ連覇

北海道日本ハムファイターズがパリーグ連覇を果たした。

マリーンズファンの僕にとっては残念はあるが、まずは「連覇おめでとう」と素直に祝福したい。


連覇への道のりを一口で言えば、開幕当初こそもたついたものの、5月の14連勝やら交流戦優勝やらで挽回し、リーグで最も安定した戦力を保って優勝したということになるだろうか。

ペナントレースの振り返りはシーズンが終わったらしたいと思うが、まさか連覇するとは開幕前には思いもよらなかった。見事というしかない。




さて、プレーオフで優勝チームが決まり、日本シリーズへという順番だった昨年までと違って、今年はリーグ優勝チームが決まった後にクライマックスシリーズを経て日本シリーズ出場チームが決まるというわけだが、順当に行けばファイターズが日本シリーズに出場するだろう。

マリーンズは中継ぎ・抑えのピッチャーが全く計算できなくなってしまった。打線も拙攻が目立つ。ホークスも投打に安定感を欠く。もちろん、短期決戦ゆえ、戦い方も違うことは承知しているが、短期決戦での勢い、爆発力が今のマリーンズやホークスに期待できるかといえば、やはり疑問符がつく。

そうはいっても、クライマックスシリーズも盛り上がることを期待したい。願わくばマリーンズに第2ステージに進出してもらって、ファイターズといい勝負を展開してくれることを。

2007年9月26日 (水)

福田内閣発足

福田康夫首相および閣僚が任命・認証されて、福田内閣が今日正式に発足した。

とにもかくにも、前首相が国政をぐちゃぐちゃにしてしまっているので、まずは当面の課題に誠実に取り組んでもらいたいと思う。

まあ、福田首相は手堅くはやるでしょう。安倍内閣の閣僚の入れ替えをほとんどしなかったところにも(そうなるには水面下ではいろいろあったにせよ)手堅い姿勢がよく現れている。

確かに、「政治とカネ」の面で怪しげな人もいるが、閣僚になって1か月。ほとんど仕事ができていない状況では評価のしようがないので、この首相判断は是として、しばらくは仕事ぶりを見たい。


とはいえ、僕自身は福田首相のやや人を小ばかにしたような言動はどうにも好きになれない。父の赳夫氏のような洒脱さがあるわけではないし、とりあえずは手堅いだけが売りでは、首相の器にふさわしいかどうかは疑問である。

そもそも、参議院の少数与党の状況や、自民党役員決定の際、古賀誠氏に押し切られたような経緯を見ると、早晩行き詰ることは避けられないだろう。

やはり、この内閣は「選挙管理内閣」と割り切って、早期の解散・総選挙に臨むことを最大の仕事にするしかないと思う。



安倍内閣についての総括も少し。

唯一評価してもいいと思うのは、小泉首相時代に八方ふさがりになってしまった中国・韓国との関係を改善したこと。

これ以外は全くダメ。教育基本法はじめ教育関係法の改正、国民投票法の制定、防衛庁から防衛省への昇格など、実績めいたものがあるが、拙速な国会審議で、数の力に物をいわせて成立させただけ。

あとは「美しい国」だの「戦後レジームからの脱却」だのと、言葉が踊り、独りよがりの姿勢に終始して結局は政権を投げ出すに至ったわけで、この国を混乱させただけに終わった感じである。

病院での退任の弁で、ようやく「最悪のタイミング」での退陣だったことを認め、国民に陳謝したが、遅きに失した。「1か月くらい体調が悪かった」と告白したが、そうであればなおさら早い時点での退陣を決断すべきだったわけで、自ら首相の器でないことを認めたようなものである。

このような人物を首相にし、かつ参議院選挙惨敗でも続投を容認してしまった与党の責任は厳しく問われるべきであり、総選挙の時まで忘れてはならない。

2007年9月24日 (月)

大相撲秋場所総括

白鵬が横綱として初めての優勝で幕を閉じた秋場所。

順当な結果ではあるが、白鵬の相撲内容は場所全体としてはあまりよくなかったように思う。良かったのは千秋楽の千代大海戦だけではないかと。

豊ノ島戦で墓穴を掘った張り差しは絶対封印を肝に銘ずべきだろう。今場所は優勝争いをする上位陣がいなかったから良かったものの、毎場所優勝争いをしなければならない横綱が安易な相撲を取ることは致命傷になる。


大関陣は散々。新大関琴光喜は10勝したのでかろうじて及第点。早々に優勝争いから脱落した点と、相撲内容が「勝ち越しがやっと」の時代に戻った感があるのは不満だが、来場所の巻き返しを期待。

千代大海は、豪栄道に勝ったことが唯一面目を保った点で、まあ多くを望むのは酷か。

情けないのは琴欧洲。横綱・大関と全く対戦がなかったのに8勝止まり。現状では大関としての存在価値ゼロである。

魁皇はいよいよがけっぷち。よほどの奇跡が起きない限り、地元九州場所が花道になる公算が強い。


三役陣は、新関脇が2人とも勝ち越し。特に安美錦の初日から8連勝には驚かされた。まさか10勝するとは思わなかったが、来場所もこれが続くかどうか。同じことが安馬にも言える。

朝赤龍は8勝ながら、出場した大関を全て倒した(魁皇とは対戦なし)。あまり目立たなかったが、以前の幕内上位で大負け、下位で大勝ちの時代よりは力がついたということか。

対照的に、成長が感じられないのが稀勢の里。三役陣で唯一負け越し。また平幕で出直しであるが、もういい加減壁を破って三役に定着して上を目指して欲しい。

幕内上位では、10勝を挙げた琴奨菊、西筆頭で勝ち越した豊真将の真価が問われるのは来場所になる。出島と豊ノ島は存在感を示した。


下位では、やはり豪栄道がよく健闘した。まさか、小結安馬、大関千代大海についで、横綱白鵬と対戦することになろうとは思わなかったが、いい経験になったはず。立会いを磨かないとまだ上位には通じないと思うが、今後が楽しみな力士がまた一人増えたことは間違いない。

千秋楽まで優勝を争った旭天鵬。やはり十両や幕内下位では実力が違うということだろう。この人は常に上位で取るべき存在である。



さて、話を転じて。

場所前、場所中を通じて、相変わらず土俵外の話で盛り上がったのは遺憾である。

明らかになったのは、高砂親方と北の湖理事長のダメっぷり。朝青龍問題における高砂親方の粘りのない行動は、押し切れないとすぐ引き技を見せてよく負けていた現役時代の取り口と全く同じ。前途多難である。

それ以上にダメなのが理事長。初日の「協会ご挨拶」で、「どうして俺が謝らないといけないのか」と全く朝青龍問題に触れないばかりか、協会批判したとして取材証を取り上げようとする。

もう少し賢い人だと思っていたのだが、これでは組織のトップに立つ資格はないと断ぜざるを得ない。

2007年9月17日 (月)

劇団四季「この生命誰のもの」

※2013.1.28追記
この記事は、2007年の観劇記です。
以下の2013年の観劇記とあわせてご覧いただければ幸いです。

http://miyap.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-64ba.html



3連休の最終日は、丹後半島から東京へ移動して観劇を。

自由劇場へ来たのは、「鹿鳴館」「解ってたまるか!」に続いて3度目になります。

劇団四季「この生命誰のもの」

劇団四季「この生命誰のもの」

劇団四季「この生命誰のもの」

この芝居のテーマは「尊厳死」。

主人公は、首から下が不随になった芸術家の患者。彼は単なる延命措置を拒み、「人間らしく死ぬ権利」を主張する。それを受け止める医者の側も、「人の命を救う医者の務め」と、患者の主張との間で揺れる。

たいていの芝居には、「悪人」や、「人としてどうしようもない奴」が登場するが、この芝居にはそれがいない。

あえて言えば、「善意の押し付け」が目立つボランティアのおばさんが「どうしようもない人」かな。人の気持ちに構わず、画一的な論理の押し付けをするほど始末の悪いことはないが、この程度ならまだ可愛いものである。

まあ、敵役は「医者の論理」で患者の「死ぬ権利」を絶対肯定しない医者になるのだろうが、この医者は権威主義的なところはあるものの、主張が全く非であるとは言い切れない。何に重きを置くかの「見解の相違」でしかないのだから。

(ラストでは、この医者と患者の気持ちが通い合うことになる。)


テーマがテーマだけに、重くなりすぎないような芝居の構成にはなっていたが、やっぱり単純な娯楽作品とは違う。芝居自体は見てよかったと思うし、充分堪能できたが、重い宿題を与えられたような気分で、自分が同じ立場におかれたらどうするかを考えずにはいられなかった。

今問われれば、主人公と同じことを答えると思うが、いざ自分が死を目前にした状況におかれたとき、同じ結論になるかは自信がない。

2007年9月16日 (日)

出石そばで締めくくり

出石に行ってでそばを食べ、旅を終えました。

出石の町は想像以上の人出で、余裕があれば少し歩いてみたかったんですが、時間もなく、人の多さにびっくりしたこともあって、またの機会に譲りました。

車で通っただけになってしまいましたが、ゆっくり歩いてみたい気にはさせる町ではあります。

出石そばで締めくくり

出石そばで締めくくり

出石そばは「皿そば」。1人前5枚でしたが、10枚食べました。

周囲のテーブルを見ると、それ以上に皿が積み上がっているところもありましたが。

琴引浜の鳴き砂

木津温泉を後にして、鳴き砂で知られる琴引浜へ。

同行の友人は、かつてロシアタンカー「ナホトカ号」が重油流出事故を起こした時、ここで重油回収作業のボランティアをしたそうです。

琴引浜の鳴き砂

琴引浜の鳴き砂

鳴き砂のほうは、人もたくさんいたせいか、鳴きが今ひとつ。

代わりに、近くにある「琴引浜鳴き砂文化館」で鳴き砂が体験できるようになっていたので、ここでしっかり鳴きを堪能しました。

木津温泉の宿

宿泊は、木津温泉「丹後の湯宿 ゑびすや」。

木津温泉は、北近畿タンゴ鉄道に木津温泉駅があって以前から気になっていたので、今回の宿泊地にしました。

木津温泉の宿

木津温泉の宿は駅の近くに数軒しかなく、温泉街というほどの規模はありませんが、落ち着いたたたずまい。



「ゑびすや」は、温泉も気持ちよく、雰囲気も上々でした。次回は鉄道で来て泊まりたいものです。

木津温泉の宿

↑本館の入口。入口は現在使われておらず、出入りは新館(1枚目の写真の看板がある建物)からとなります。

この外観から、「竜宮館」とも呼ばれていたとか。

本館内部は大正時代の雰囲気が残っています。

2階の出窓のところは、かつて松本清張が滞在して「Dの複合」を執筆した書斎だそうで、見学もできます。

木津温泉の宿

↑本館にある家族風呂「ごんすけの湯」。天井にはステンドグラスがあり、大正風が健在。

この家族風呂は「温泉教授」松田忠徳氏が絶賛したとか。

木津温泉の宿

↑もうひとつの家族風呂「しずかの湯」。こちらはかなり小ぶりで、家族というよりはカップル向き。

2007年9月15日 (土)

細川ガラシャ隠棲の地・味土野

味土野は、本能寺の変後、細川忠興が妻の玉(明智光秀の娘・のちキリスト教の洗礼を受けガラシャの名を受ける)を幽閉した地。


細川ガラシャ隠棲の地・味土野




大きな車は通れず、小さな車でさえもすれ違うのがところどころ困難な道を行き、ようやくたどり着いたという感じですが、地元では史跡としてそれなりに手を入れていることもうかがえました。


細川ガラシャ隠棲の地・味土野




味土野は、昨年のNHK大河ドラマ「功名が辻」や、JR西日本の広報誌(だったと思う)で取り上げられており、機会があればぜひ行きたいと思っていたんですが、意外に早く念願が果たせました。

細川ガラシャ隠棲の地・味土野

↑「やさか町」は「弥栄町」のこと。現在は「平成の大合併」により、京丹後市弥栄町。

「女城」に玉が住み、谷を隔てて築かれた「男城」に警護兵がいたといわれています。

海沿いの風景〜伊根と経ヶ岬

加悦・野田川を後にし、丹後半島を反時計回りにまわりました。天橋立は行ったことがあるのでパスし、舟屋で有名な伊根へ。

海沿いの風景〜伊根と経ヶ岬

↑「道の駅 舟屋の里伊根」からの眺め。伊根はかつて、NHK朝ドラ「ええにょぼ」の舞台になりました。

海沿いの風景〜伊根と経ヶ岬

↑アングルを少し変えて撮影。舟屋がはっきり写せなかったのが残念ですが。



伊根から経ヶ崎へは、本来なら国道178号線を海沿いにたどれるのですが、大雨による土砂崩れがあったとかで通行止めになっており、内陸を迂回して向かうことになりました。



↓駐車上から数分歩いて、経ヶ崎灯台へたどり着きました。


今夏はこれで4つ目の灯台訪問となりました(前3つは犬吠埼・伊良湖・潮岬)。



海沿いの風景〜伊根と経ヶ岬

海沿いの風景〜伊根と経ヶ岬

野田川駅前の宿

北近畿タンゴ鉄道野田川駅前にある駅前旅館。

この宿は、レイルウェイライター種村直樹氏が1983年、加悦鉄道で日本の鉄道を全線完乗する際に前泊した宿として、著作『乗ったで降りたで完乗列車』に登場します。

今も健在かどうか確認すべく野田川駅に立ち寄った甲斐がありました・・・。

野田川駅前の宿

旧加悦鉄道加悦駅舎

SL広場の旧加悦駅舎は復元したものですが、こちらは本物の旧加悦駅舎。

駅舎は、加悦駅があった場所から道を挟んで北西に移転、保存されています(加悦駅があった場所には、与謝野町役場加悦庁舎が立っています。)

駅舎は、観光案内所と加悦鉄道資料室として使われています。

旧加悦鉄道加悦駅舎

↑駅舎全景。敷地の片隅には腕木信号機も。

旧加悦鉄道加悦駅舎

↑正面入口

旧加悦鉄道加悦駅舎

↑線路跡はサイクリングロードになっています。

旧加悦鉄道加悦駅舎

↑展示室の内部。資料が散逸せずに残っているのはうれしいことです。

旧加悦鉄道加悦駅舎

↑丹後山田駅で使われていたと思われる乗換案内板。

加悦SL広場

3連休の前半に丹後半島に行って来ました。

福知山でレンタカーを借り、まず向かったのが「加悦SL広場」でした。

期待以上に、楽しいひと時を過ごすことができました。

加悦SLの広場

↑旧加悦駅舎を復元した広場の入口。


加悦鉄道は、国鉄宮津線丹後山田駅(現・北近畿タンゴ鉄道野田川駅)と加悦を結んだ5.7kmの鉄道。1985(昭和60)年に廃止。

加悦SLの広場

↑広場の内部。加悦鉄道で活躍したSLやディーゼルカーを中心に27両が保存されています。

加悦SLの広場

↑展示車両のほとんどは、内部へ入れるようになっていました。

昔に戻った気分になります・・・。

加悦SLの広場

加悦SLの広場

↑昼食は、客車を改造した「カフェトレイン蒸気屋」で。パスタがなかなかいい味でした。

2007年9月12日 (水)

安倍首相、突然の辞任表明

安倍首相が、突然辞任を表明した。

僕自身は、一刻も早くこの人には首相を辞めてもらいたいとは思っていたが、この時期の辞任表明には、驚き呆れると同時に、憤りを禁じえない。


2週間前に内閣改造したばかりで、おととい所信表明演説をし、これから代表質問を受けようとする直前になぜ辞任を表明するのか。無責任で、常軌を逸しているとしか思えない。


思えばこの人は、常に国会を軽視してきた。

相次ぐ強行採決。参議院選挙で大敗しても政権の座にしがみつく。あげくに所信表明演説直後の辞意表明。

このような国権の最高機関をないがしろにしているとしか思えない行為の数々。国会を軽視しているということは、主権者である国民を軽視していることと同義である。

大体、参議院選挙で大敗しても辞めなかったのに、テロ特措法延長問題では、勝手に海外で延長を「国際公約」し、「職を賭して取り組む」とは、国民の意思よりアメリカの意向に添えないことのほうを重要視しているとしか思えない。

普通、一国の首相がそこまで言うのならば、不退転の決意でこの問題に取り組むのだろうと誰もが思うはずである。しかしながら首相を取り巻く環境は厳しく、追い詰められたと感じてしまったのか、代表質問を受ける自信もなくなったのか、「もうやーめた」と政権を投げ出したという感じであり、まったく無責任の極みというしかない結末となった。

このような状況になることは、参議院選挙惨敗の結果から容易に想像できたはずであり、今急に状況が変わったわけではない。それなのに今頃になって状況の厳しさに耐えられなくなった、というのならば、基本的に政治家としての資質を欠いているのであって、そもそも首相になってはいけなかったのだ。


一方、辞任の理由として、健康に問題があったからではという説もある。もしそうであるならば、内閣改造前に決断しなければならなかったし、昨日今日に政権を担えない健康状態であることが分かったから辞める、というのであれば、きちんと説明すべきである。


結局、この人は最後まで「ピントが外れていた」ということだろう。国民が当面解決すべき課題とは思っていない「戦後レジームの脱却」にこだわり、選挙で惨敗しても自分の目指す方向は支持を得ていると強弁する。そして辞めるべきでないタイミングでの辞任表明。とどめは、国民に対して混乱を詫びることばが全くなかった記者会見。


間違いなく、史上最低最悪の総理大臣の一人に列せられるだろう。このような人には、二度と政治の表舞台に出ることなく、政界からもさっさと身を引いてもらいたい。

2007年9月 9日 (日)

那智の滝

↓青岸渡寺の境内から眺める那智の滝と三重塔。

那智の滝

急な石段を下って・・・
那智の滝

さらに下って・・・
那智の滝


滝にたどりつきました。
那智の滝

滝は飛瀧神社の御神体。まさに「滝を拝む」感じです。
那智の滝

熊野那智大社

坂道を歩き、石段を登って、熊野那智大社にやってきました。

熊野本宮大社・熊野速玉大社は以前訪れたことがあるので、これで熊野三山を全て訪れたことになりました。

熊野那智大社

熊野那智大社


↓登ってきた跡を振り返る。

熊野那智大社



↓大社の隣にある西国一番札所、青岸渡寺。

熊野那智大社

熊野古道を歩く

熊野那智大社をめざし、熊野古道のひとつ、大門坂を歩きました。

熊野古道を歩く

熊野古道を歩く

熊野古道を歩く

2007年9月 8日 (土)

鉄道好きなら分かる…

今宵の宿、串本温泉「浦島ハーバーホテル」にある露天風呂「望橋の湯」の更衣室は、客車を改造したもの。

鉄道好きなら分かる…

↓窓の外はお風呂。
鉄道好きなら分かる…

鉄道好きなら分かる…

↓このような表示も客車時代のまま。
鉄道好きなら分かる…

本州最南端の地

潮岬へやってきました。台風がやってくるとよく耳にする場所ですが、来たのは初めて。

まずは潮岬灯台へ。

本州最南端の地

本州最南端の地


↓灯台から眺める太平洋。

本州最南端の地



灯台から少し歩いて潮岬へ。本州最南端の地から眺める海は、地球が丸いことを教えてくれます・・・。

本州最南端の地

白浜外湯めぐり

紀勢線を南下して白浜で途中下車、外湯を巡りました。

白浜外湯めぐり

↑昔ながらの外湯の雰囲気を残す「牟婁の湯」。


白浜外湯めぐり

白浜外湯めぐり
↑海に面した露天風呂「崎の湯」。開放的な気分にひたれます。

白浜外湯めぐり

↑白良浜にある「白良湯」。この建物も風情がありました。

風呂は2階にあります。




白浜外湯めぐり
↑白良浜海岸。

白良湯につかりながら眺めることができます(写真は海岸で撮ってますが)。

多くの海水浴客でにぎわっていました。

紀和駅

1968(昭和43)年1月までは、この駅が「和歌山」を名乗っていました(今の和歌山駅は「東和歌山」でした)。

以前はそれにふさわしい長いホームと、それなりの風格がある駅舎があったんですが、今は高架化を進めているようで、昔日の面影はまったくありません。

紀和駅

紀和駅

紀和駅

2007年9月 7日 (金)

有田鉄道・金屋口駅跡

金屋口駅跡は、有田鉄道本社やバス車庫があるせいか、荒れることなく残っていました。

有田鉄道・金屋口駅跡

↑駅舎跡を正面から。


有田鉄道・金屋口駅跡

↑これだけ見れば、とても廃止された鉄道とは思えません。


有田鉄道・金屋口駅跡

↑一見しただけでは、やっぱり廃駅には見えない・・・。


有田鉄道・金屋口駅跡

近くの車庫に眠るディーゼルカー。手入れすればまだ走れるのでは?


有田鉄道・金屋口駅跡

↑藤並方向を望む。夕日に照らされてなかなかいい風景でした。

今にも列車がやってきそう。

「きのくに線」藤並駅

かつて有田鉄道が分岐していた藤並駅。

藤並駅

↑御坊方面行きホームに今も残る有田鉄道の出札口。




藤並駅

↑跨線橋からみた有田鉄道ホーム跡。中央に見える小屋が出札口跡。線路跡は、サイクリングロードとして整備している由。

藤並駅

↑金屋口へ向かうバス。駅前で折り返し準備中。

紀伊中ノ島駅・和歌山線ホーム跡

現在の和歌山線は、王寺方面から乗ると、田井ノ瀬から南へ向かって和歌山へ至る。

しかし、1972(昭和47)年3月までは、田井ノ瀬から西へ向かい、紀伊中ノ島を通って紀和、和歌山市に至る線があり、和歌山線の終点は和歌山市であった。

(田井ノ瀬-紀和間が正式に廃止されたのは、1974(昭和49)年10月。)

かねてから一度降りて見たいと思っていた紀伊中ノ島駅に、ようやく降りることができた。

和歌山線のホームの跡はしっかり残っていた。

紀伊中ノ島駅・和歌山線ホーム跡
↑紀和方を望む。阪和線がクロスする。


紀伊中ノ島駅・和歌山線ホーム跡

↑田井ノ瀬方を望む。線路跡は団地の駐車場になっている。


紀伊中ノ島駅・和歌山線ホーム跡

↑和歌山行きの電車の中から撮影(田井ノ瀬方向を望む)。

北宇智駅・その2

北宇智駅・その2

↑吉野口方の引込み線跡。

北宇智駅・その2

↑新駅舎は、小ぶりなものに。

北宇智駅・その2

↑現在のホームから、旧駅を望む。

北宇智駅・その2

↑駅のそばにある北宇智郵便局。落ち着いたたたずまいで、いい雰囲気。

北宇智駅・その1

スイッチバックを解消した北宇智駅の様子を見たくて、降りてみました。


北宇智駅・その1

↑旧駅舎はまだ残っています。

北宇智駅・その1

↑五条方向を望む。




北宇智駅・その1

↑吉野口方向を望む。今にも列車がやってきそう・・・。

北宇智駅・その1

↑吉野口方面行きホームから、本屋側ホーム(五条方面行き)を望む。

北宇智駅・その1

↑吉野口方面ゆきホームに残る駅名板。

2007年9月 2日 (日)

天竜浜名湖鉄道・気賀駅

舘山寺温泉からバスを乗り継ぎ、気賀駅へ。

天竜浜名湖鉄道・気賀駅

天竜浜名湖鉄道・気賀駅

天竜浜名湖鉄道・気賀駅

天竜浜名湖鉄道・気賀駅

昔の鉄道駅の風情が残るたたずまいでした。
(この鉄道の駅は、結構「古きよき時代」の雰囲気が残っている駅が多いですね)

浜名湖で遊ぶ

今日は曇天の中、浜名湖へ。

舘山寺温泉を拠点に、クルージングをしたり、温泉につかったりして、のんびりしたひとときを過ごしました。

浜名湖で遊ぶ

↑クルージングをした船。

アメリカ製で、「浜名湖花博」会場で使用された、低騒音で排気もクリーンとのこと。

浜名湖で遊ぶ

↑船内はこんな感じ。

浜名湖で遊ぶ

↑船からの眺め。

浜名湖で遊ぶ

↑入浴は、「遠鉄ホテルエンパイア」内の温泉「ダイダラボッチの湯」で。

2007年9月 1日 (土)

伊良湖岬再訪

思いがけず、6月に訪れた伊良湖岬を再訪しました。

6月とは逆に、師崎からフェリーで伊良湖入り。

伊良湖岬再訪

伊良湖岬再訪

まだ夏を思わせる日差しを浴びて、灯台までぶらぶら散歩しました。

伊良湖岬再訪

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »