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2008年3月

2008年3月29日 (土)

夜桜

夜桜

夜桜

帰り道に咲いていた桜です。


あっという間に3月が終わろうとしています。

そして別れと出会いがあり、新しい年度が始まります。


そういえば、かつて、「ニュースステーション」で「夜桜中継」をやってましたが、あのとき中継してた若林さんは今何をしてるんだろう。

最近「夜桜お七」を歌ってないなあ。


・・・などと、感慨にふけったり、くだらないことを思ったりしながら歩いた夜でした。

2008年3月24日 (月)

大相撲春場所総括

朝青龍の4場所ぶりの優勝で幕を閉じた春場所。

正直なところ、朝青龍はもう少し苦労を重ねる必要があり、優勝するのはまだ早いと思っていたので、あまり祝福する気になれない。

ただ、この人らしくなく終盤に崩れたのを立て直して優勝したことは評価してもいいとは思う。

この人に望むのは、言っても無駄かもしれないが、とにもかくにも品格を備えることである。

立ち合いに両手を土俵につかない、蹲踞がだらしないなど、土俵上の所作もそうだし、場所前の稽古も適当に休む、言動も相変わらずと、遺憾な限りである。

横綱は全力士の手本になるという意識をもたないとダメだし、まわりがもっときちんとさせなければいけないのだ。


4連覇を逃した白鵬。

「2場所連続の横綱相星決戦で連勝した人はいない」というジンクスは生きていたということになるのだろうが、朝青龍との一番は、何をそんなに焦ったのかという印象。

立ち合いは悪くなかったと思うが、まわしが取れないまま慌てたように寄って出ては、さすがに朝青龍は見逃してはくれまい。

負けた3番は、いずれも不注意な相撲を取った結果である。今後いかにこういう相撲をなくしてゆくかが課題となろう。


さて、大関陣であるが、琴欧洲は途中休場、他の3人はそろって8勝という情けない結果。

毎回同じようなことを書いているのでいいかげん嫌になるが、せめて1人くらいは終盤戦まで優勝争いに絡んでくれないと大関の名が泣く。

まあ琴光喜はようやく朝青龍に勝ったし、千代大海も白鵬に勝ったことで多少の存在感を示したが、大関が横綱に勝つことが大きなニュースになる自体が恥ずかしいことを自覚してもらいたい。


三役陣も大負けした豪風以外は8勝止まり。

安馬は場所中に怪我をしたらしいが、全く存在感がなかった。琴奨菊は、朝青龍戦の相撲は目を見張るものがあったが、8勝で終わる人ではないはず。稀勢の里も同じで、朝青龍戦で露呈した研究不足が、三役で2ケタ勝てない所以であることを肝に銘ずるべきである。

結局、横綱との力の差が、勝ち星に如実に現れているということであり、しばらくは横綱2強時代が続くということを改めて示した場所になったと思う。


今場所は横綱と平幕しか2ケタ勝利を挙げた力士がいなかったわけだが、その平幕力士も、幕内中位・下位ではそのくらいの星を挙げて当然という顔ぶれである。

来場所は番付が上位となるはずで、果たしてそこで安定した成績が残せるかどうかはやや疑問であるが、それでは困る。やはり稽古を積んで精進あるのみである。


さて、朝青龍のところでも少し触れたが、またぞろ立ち合いが乱れてきている。

両手をしっかり下ろさない、呼吸を合わせないために立ち合いが合わない(=待ったが多くなる)というのが目立つ。

前者の代表が朝青龍と安馬であり、後者の代表が琴光喜と市原だろうか。


まず、立ち合いは、「両手を土俵にしっかりつけて立つ」「片手を土俵につけ、もう一方の手は立つ時につく」のいずれかが求められており、要は立会いの瞬間は両手を土俵に着かなければいけない。

朝青龍も安馬も、ひどいときは両手とも土俵についていない有様である。


また、立ち合いは両者が呼吸を合わせて立つものであるが、やたらにゆっくり仕切ってみたり、なかなか立とうとしなかったりと、「汚い立ち合い」をするのが琴光喜と市原で、僕個人的にはこちらのほうが許しがたい。


かつてやったように、全力士・親方・行司を呼んで再度指導するべき時に来ているのではないだろうか。

相撲協会が「土俵の充実」を言うのであれば、まずはここからきっちりと取り組んでもらいたい。

2008年3月23日 (日)

北斎展

北斎展

名古屋市美術館で今日まで開催されていました。

入場券をいただいていたのですが、これまでなかなか行けず、ようやく最終日に駆け込むことになってしまいました。



予想どおり、大勢の人でにぎわっており、北斎の鑑賞というより、観客を見に行ったような感じではありました・・・。


披露されている作品そのものは、「富嶽三十六景」や「北斎漫画」のような有名どころから、肉筆画や版本といった、これまであまり紹介されてこなかったものまで多岐に渡っており、葛飾北斎がいかに優れた芸術家であったかがよく分かる内容だったと思います。


これが、ゆっくりと落ち着いてみることができればさらによかったんですが。

でもまあ、観ることができたただけで良しとしましょうか。

2008年3月14日 (金)

36歳の誕生日

を迎えました。

ホワイトデーが誕生日ということで、「入り」より「出」のほうが多いのは毎年のことです。


まあそれはさておき、3月14日生まれの有名人には誰がいるのか、ふと調べてみたくなりました。


Wikipediaによれば、このような人たちが。(一部を適当に抜粋)


1804年 - ヨハン・シュトラウス1世作曲家

1820年 - ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世、イタリア王国初代国王

1863年 - 徳富蘇峰評論家

1879年 - アルベルト・アインシュタイン物理学者

1917年 - 芦田伸介俳優

1920年 - 豊田穣、小説家

1924年 - 赤木春恵女優

1932年 - 大沢啓二、元日本ハムファイターズ監督

1932年 - ナイーナ・エリツィナ、初代ロシア大統領ボリス・エリツィンの夫人

1939年 - 松本和那実業家政治家

1939年 - 中沢啓治漫画家

1944年 - 片岡仁左衛門、歌舞伎役者・俳優

1945年 - 栗原小巻、女優

1948年 - 五木ひろし演歌歌手

1969年 - 山口智充お笑いタレントDonDokoDon

1970年 - 姿月あさと、女優

1972年 - 岡安弥生、アナウンサー

1977年 - 松田直樹サッカー選手

1977年 - 吉田孝行、サッカー選手

1977年 - ほしのあきグラビアアイドル

1979年 - 渋井陽子陸上競技選手(マラソン

1979年 - 久本祐一プロ野球選手

1980年 - 青木崇高、俳優

1989年 - 山崎亮平、サッカー選手

1991年 - 仲村みうアイドル


五木ひろしが3月14日生まれということは知ってましたが、こうしてみると結構いるもんです。やはり、誕生日が一緒だと、何となく親しみがわくものではあります。


そして、今日は寝台急行「銀河」が最後の出発をした日。

「報道ステーション」では生中継、「NEWS ZERO」でも取り上げられていました。

ひとつの時代を築いた列車が廃止された日として、ここにも記録しておきます。


・・・石破茂防衛大臣が、地元鳥取への行き来に「銀河」をよく利用していたらしく、最終日の乗車も狙っていたとか。この方、軍事オタクだけじゃなく、鉄道好きでもあったんですねえ。

2008年3月10日 (月)

大相撲春場所開幕

大相撲春場所の幕が開いた。

初日の幕内の相撲をテレビ観戦したが、全体に足が地についていないというか、ふわふわした感じの相撲が多かった印象。

その中では、やはり朝青龍の相撲が一番厳しかったということになろうか。

先場所敗れている稀勢の里を全く問題にしなかった。もっとも、稀勢の里の立会いも甘く、張り差しに横を向いてしまうようでは研究不足と言われても仕方あるまい。

白鵬は、豪風にもろ差しを許すなどやや苦戦したが、最後は実力勝ちといったところ。初日に負けることが多いので、とりあえずはいいスタートが切れたと言えるだろう。


情けないのは大関陣で、千代大海以外の3大関が文字通りの惨敗。大関を名乗るのも恥ずかしい、ひどすぎる相撲であった。勝った千代大海にしても、気力だけで勝ったという感じで、右ひじの調子は回復していないようであり、前途は多難である。



さて、場所前に時津風部屋の力士暴行死事件に関して、現役力士3人が逮捕、起訴される事態となった。「有罪が確定したら解雇、それまでは出場停止」という処分についてはいろいろ意見はあろうが、それ自体はまあ妥当なものではないかと思う。

問題なのは、そこへ至るまでの協会の対応の遅さ、迷走ぶりである。これについては以前にも書いたので繰り返さないが、とにかく自主的に動くことがなさ過ぎる。協会の外で何か動きがあってやっと行動を起こす、ということの繰り返し。

おまけに、初日恒例の理事長による「協会御挨拶」でも、この件についての言及が全くなかったとか。相変わらずの当事者意識のなさには呆れるほかない。

はっきりしているのは、「北の湖理事長に何を言っても無駄であり、彼には何もできない」という、悲しい事実だけである。

2008年3月 9日 (日)

2008 名古屋国際女子マラソン

名古屋国際女子マラソンが今日行われ、初マラソンの中村友梨香が優勝した。

有力選手がひしめく中、かなりのスローペースで始まった前半であったが、中間点から30キロ過ぎまでの勝負はなかなか見応えがあった。32キロ付近からトップにたった中村の走りは見事で、前半もう少しペースが速かったら、もっといい記録が出ただろうと思う。


さて、最も注目された高橋尚子はまさかの9キロ過ぎの脱落、完走できるかどうか心配な状態だったが、完走して27位となった。

僕自身、高橋と同じ1972年生まれであること(高橋は5月、僕は3月)、隣県の岐阜県出身であることもあって、ずっと応援してきた。

「年齢による限界説」などがささやかれると、何だか自分の世代がそう思われているような気がして、反発を覚えたものである。

今回も、高橋尚子なら優勝できるのではないかと期待していたが、まさかの序盤での失速であり、きわめて残念な結果となってしまった。しかし、それでも完走した姿は、「あきらめなければ夢はかなう」ということを示すことはできなかったが、「あきらめずにやり遂げる」大事さを伝えたように思う。


レース後の会見では、「これが今の実力」と認めた上で、昨年8月に右ひざの半月版切除手術をしたことを明かした。

やはり、手術後7か月でレースに臨むというのは、常識的には時間が足りないということであろうし、かつての師である小出義雄が、直前の調整の失敗ではないかと分析していたように、レース前にすでに勝ち目はなかったのかもしれない。

そんな状態でも、完走して倒れ込むこともなく、レース後は明るい表情を見せ続けたことに、高橋の人としての強さを感じる。

マラソンには、背後にいろいろなドラマがあるものだ、とつくづく思う。


高橋が口にする「夢はかなう」。

最近は、その前に「あきらめなければ」という言葉がつくようになったが、それは、自分自身にも向けられていた言葉だったのだと分かった。

そして、同じ「夢はかなう」でも、かつての「夢はかなう」と、現在の「あきらめなければ夢はかなう」には、この間に苦難を重ねたことによる違いがあることを改めて知った。

「まだやりたいことがある」と言う高橋。それが何であるのかは分からないが、変わらぬ声援を送り続けたいと思う。

2008年3月 8日 (土)

映画「ユゴ −大統領有故−」

映画「ユゴ −大統領有故−」
先月下旬以来仕事が忙しく、帰宅時間が読めない日々が続いている。

そんな中、思いがけず仕事が早く終わった日に観たのがこの映画である。



一言で表せば、「韓国の朴正煕大統領が射殺された1日を描いたバイオレンス作品」であろうか。
大統領射殺以降に現場で繰り広げられるシーンはかなりどぎつい。


映画では、金載圭KCIA部長がなぜ朴正煕を射殺したのか、という理由には踏み込んでいない。
その代わりに描かれているのは、政権中枢や軍部の緩み切った姿である。


また、随所に日本語が使われているのも特徴で、朴正煕が時折日本語でつぶやくシーンや、宴席で歌手が「北の宿から」や「悲しい酒」を歌うシーンなどが登場する。

朴正煕は創氏改名で「高木正雄」という日本名を名乗り、満州国の将校になっている。
このことから、朴正煕ないしは軍事独裁政権を描く要素として、日本という背景は欠かせないという演出だろうと思われるが、当時韓国内で日本の音楽(はじめ、大衆文化)が禁止されていたことを考えれば、かなりのアイロニーが込められていると言えようか。


圧巻は、朴正煕の葬儀の模様を映した、ラストのドキュメンタリー映像である。


韓国では朴正煕の遺族による上映禁止の仮処分申請に対し、裁判所がこのシーンの上映を禁止したいわくつきのもの。
もし何の先入観もなく、いきなりこのシーンを見たら、多分「金日成葬儀の時の、北朝鮮民衆の光景」と思うだろう。

白黒とカラーの違いこそあれ、29年前の韓国国民の泣く姿は、14年前の北朝鮮国民の泣く姿と同じであった。

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