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2009年3月

2009年3月28日 (土)

今朝見た桜

今朝見た桜
今朝、市政資料館へ行った時に撮った1枚。

残務整理その他が続き、今やっと帰路についています…。

2009年3月22日 (日)

特急はまかぜ

特急はまかぜ
特急はまかぜ
香住からはまかぜ4号に乗車。

本当は餘部で降りて鉄橋をゆっくり眺めたかったのだけど、今日の強風で浜坂・香住間は半日運転見合わせだったこともあってあきらめ。

この車両にもいつまで乗れますか。

嵐の鳥取砂丘

嵐の鳥取砂丘
めちゃくちゃに強い風が吹き荒れていて、華奢なワタクシは飛ばされそうになりました(笑)。

容赦ない強風に憎しみさえ覚えるほどで、たまらず早々に退散。

2009年3月21日 (土)

由良駅

由良駅
由良駅
由良駅
由良駅
きわめて普通の駅ですが、駅前広場はコナンワールド。

コナンくんに会える街

コナンくんに会える街
コナンくんに会える街
コナンくんに会える街
コナンくんに会える街
コナンくんに会える街
由良駅で降りて、青山剛昌ふるさと館へぶらりぶらり。

ここ北栄町は、「名探偵コナン」の原作者、青山剛昌氏の出身地。

駅からふるさと館までの道は「コナン通り」、間に架かる橋は「コナン大橋」、マンホールはコナンの絵柄と、コナンづくし。

ちょうど開館2周年記念祭の最中で、子ども連れで賑わっていました。

一畑電車出雲大社前駅

一畑電車出雲大社前駅
一畑電車出雲大社前駅
一畑電車出雲大社前駅
文化庁の登録有形文化財に指定されている駅舎。

重要文化財である旧JR大社駅には時間切れで行けず。
19年前に廃線跡をたどった時に見てはいるので悔しいまでは行かないけど、ちょっとだけ後ろ髪ひかれる思いで電車に乗りました。

出雲大社

出雲大社
出雲大社
出雲大社
出雲大社
19年ぶりに来ました。

朝から多くの参拝者で賑やかです。

本殿は平成の大遷宮の最中。

神楽殿では厳かに結婚式が行われていましたが、注連縄の下ではお賽銭を縄に挿そうとする人が歓声を上げていました。

ちなみにワタシは2回目で成功。

2009年3月20日 (金)

妖怪の街を歩く

妖怪の街を歩く
妖怪の街を歩く
妖怪の街を歩く
妖怪の街を歩く
妖怪の街を歩く
境港駅から「水木しげるロード」を散策し、水木しげる記念館を見学。

あまり水木しげるワールドに関心のなかったワタクシも結構楽しめました。

通りを歩く人が多く、商店街も割合賑わっていて、人気の高さとともに、街の活気を感じた次第。

鬼太郎列車に乗る

鬼太郎列車に乗る
鬼太郎列車に乗る
鬼太郎列車に乗る
この3連休は山陰へ。

まずは久しぶりの境線をたどりますが、何だか異次元ワールドの感。

2009年3月15日 (日)

のみすけの会

のみすけの会
のみすけの会
のみすけの会
のみすけの会
のみすけの会
飲み仲間&旅仲間のお姉さまに誘っていただき、「蔵元さんと焼酎を楽しむ会」というのに行ってきました。

宴会場に集まったのは、いかにも呑み助という雰囲気を醸し出した老若男女約160人。

呑み助が多い宴会はあまた経験してますが、これほどの会は初めて。

蔵元さんの話も面白く、なかなか飲めないらしい銘柄も味わえて、まさに至福のひととき。

昼間から飲んだことも手伝って、いつもよりかなり飲みすぎてしまいました。

名古屋の温泉

名古屋の温泉
名古屋の温泉
名古屋の温泉
納屋橋の名古屋クラウンホテルにある「三蔵温泉」に入浴。(みつくらと読みます)

かねてから気になっていたものの未訪で、今日ここで宴会があるため、やっと入ることができました。

単純泉ですが快適。
おまけに日帰り入浴は1700円のところ、宴会客は無料でゴキゲン。

2009年3月14日 (土)

誕生日

誕生日
誕生日
誕生日

今日開業した南大高駅に降りてみました。

駅の隣にあるイオンの買い物客に加え、ワタシのような見物客もいて、そこそこの賑わい。



ちなみに、37年前の今日がワタシの誕生日です。

2009年3月13日 (金)

お別れ

お別れ
お別れ
お別れ
お別れ
お別れ

あなたにもう会えなくなるので、名古屋駅まで見送りに行ってきました。


同じような考えの人がものすごい数集まっていて、あなたより観衆を見に行ったような結果になりましたが。

でも、あなたの最後の姿を見送ることができただけで充分です。



僕が鉄道の旅を好きになったのは、あなたのおかげです。

あなたのことは忘れません。

あとはとにかく無事に終着駅に着いてくれることを祈ります。




さようなら、「はやぶさ」。

2009年3月 8日 (日)

「大垣夜行」&「ムーンライトながら」の思い出

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3月14日のダイヤ改正では、「はやぶさ」「富士」の廃止とともに、「ムーンライトながら」が季節列車化される。

いわゆる「大垣夜行」と呼ばれた時代から何度も利用してきた列車だけに、やはりひとつの時代が終わるような気がして、一抹の寂しさはある。

初めて「大垣夜行」に乗ったのは、1985年、中学2年の夏。つくば科学万博を見に行った帰りに東京から名古屋までグリーン車に乗った。「大垣夜行」には指定席がなく、グリーン車2両も含め全部自由席。ある本に、「何時間前に並べば座れますか」というような中学生からの質問が載ったほどの列車だったし、夏休みでもあったので、18時過ぎには東京駅ホームに並んだ。それでも、すでに並び位置にはいくつかの荷物や人間がいて、やはりと思ったことを覚えている。

上りに最初に乗ったのは、1988年4月。会津に行くために、大垣から東京までグリーン車に乗っている。このときも、2時間くらい前に大垣駅ホームに並んだと思う。

以上2回はいずれもグリーン車利用だったが、初めて普通車に乗ったのは、おそらく1992年の夏。仲間内で7泊8日かけて北海道・本州・四国・九州の4島を巡る旅をした途中、大垣から東京まで乗ったときである。

学生時代は意外と乗っていないような気がする。というのは、スカイメイト割引で飛行機に乗ったり、周遊券利用だとハイウェイバス「ドリーム号」の使い勝手がよかったりで、早くから並ばなければならない大垣夜行を積極的に利用する気がなかったからだと思う。

まあそれでも、一般的には若い世代に人気があったことは確かだろう。ある日、アルバイト先で一緒だった女子高生が、「今夜はディズニーランドへ行くために夜行に乗るから大垣まで行かなくちゃ」と言って早退したことをなぜかよく覚えている。

手許に記録がある1997年以降で見ると、下りが「ながら」、臨時「ながら」各1回、上りが「ながら」9回、臨時「ながら」3回、臨時大垣夜行2回、上下合わせて16回と、1年に1回強のペースで乗っている。やはり名古屋に住んでいると、下りは新幹線でその日のうちに帰ってしまおうということになるので、上りの利用が多いという結果になった。

この中で、臨時大垣夜行に乗った1回は、沼津で事故があった関係で静岡で運転が打ち切られ、「ながら」で富士まで運ばれて(もちろん立ちっ放し)、さらに富士では1時間くらい待たされて代行バスで沼津へ出る、という散々な経験をしている。

大垣夜行やムーンライトながらは、この列車に乗りたくて乗る、ということは皆無であったといっていい。幸いなことに、毎回乗車後はすぐに眠り、下車直前に起きるという感じなので、列車に乗った目的だとか、乗車前後の記憶はあるものの、列車そのものの記憶はほとんどない。

とはいえ、それなりの回数乗った列車がなくなるのはやはり寂しい。季節列車のダイヤは、上りは名古屋発が早くなった上に名古屋-豊橋間ノンストップとなり、これまで乗車によく使っていた金山が通過になってしまって個人的には使い勝手が悪くなった感じである。

でも、他の多くの列車がたどった「定期列車廃止→季節・臨時列車化→いつの間にかそれも廃止」とならないように願いつつ、折に触れて乗るように努めたいと思う。

ブルートレイン「はやぶさ」の思い出

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あと数日で、ブルートレイン「はやぶさ」が廃止される。

この列車には思い入れがあるだけに、ひときわ残念である。



初めて「はやぶさ」に乗ったのは、確か小学校1年のとき。大牟田に父方の実家があった関係で何度か乗っている。この頃、帰省するのにマイカーでひたすら走ったり、大阪からフェリーに乗ったり、ブルートレインに乗ったりと、なかなかバラエティーに富んだアプローチをしているが、なぜか新幹線は利用していない。

そんなわけで、小学校1年生から2年生の頃に、行きは「はやぶさ」、帰りは名古屋着が遅めの「みずほ」というパターンで何度かB寝台に乗った。まだ小さかったので、「みずほ」の3段寝台もさして気にならず、いかにも遠くへ旅しているという感じで気持ちが高ぶっていたことを思い出す。

また、この頃は、ブルートレインブームで写真を撮る子ども達が東京駅などに群がった時期にあたるが、下りが名古屋に着く頃は夜9時過ぎ、上りも5時~6時ということで、駅に見に行ったことはなかった。その代わり、学研の写真図鑑を買ってもらって毎日のように眺めるうち、旅心が膨らんでいった。

中でも、「走るホテル」と紹介されていたA寝台個室は「すごい!」と思った。これに乗れたらいいなという憧れと、乗りたい!という思いが募っていった。

それがかなったのは、小学校3年の夏。

経緯はよく覚えていないのだが、1人で九州に行かせて欲しい、それも「はやぶさ」のA個室で、と両親に頼み込んだと思う。ひとり旅はともかく、当時寝台料金が1万円のA個室に乗るなどというわがままをよく許してくれたものだが、今思うに、いつかはひとり旅をさせておこうという思いはあったのだろうと思う。一応、日帰りでは名鉄の各線に何度も乗りに行っているという実績はあったし、いいタイミングと思ったのかもしれない。それなら個室のほうがむしろ安心という判断だったのかな、というのが私なりの推測である。

ということで、1980年7月、名古屋駅で両親やなぜか親戚が何人か見送りに来てくれて、「はやぶさ」でのひとり旅が始まった。

眠れなかったという記憶はないのだが、やはり緊張していたのか、せっかく食堂車に朝食を摂りに行ったのに、あまり食べられなかったことはよく覚えている。

大牟田では、祖父母の迎えを受け、1週間の滞在期間中、あちこちへ連れて行ってもらった。熊本城へ行った折には、急行「ぎんなん」に乗り、特急「おおよど」を見送っている。両者とも、この年の10月ダイヤ改正で消えたので、貴重な経験である。

帰りも、「はやぶさ」のA個室。祖父母に見送られて大牟田を後にした。

夕食をどうしたか、あまり記憶にない。個室で食べた記憶はないので、おそらく食堂車に行ってカレーライスでも食べたのではないかと思う。

この上り「はやぶさ」の車掌長が、個室に乗ってひとり旅、というのをたいそう喜んでくれて、記念にもらったのが乗車記念証とポケットガイド。博多車掌区手作りのもののようで、今でもアルバムに貼ってある大事な宝物である。あと、1度も使っていない個室備え付けのタオルも。

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寝台券は手書きであったことははっきり覚えているが、きっぷをもらうという知恵がなかったので残念ながら手許にはない。



これで達成感があったわけでもないのだが、しばらく「はやぶさ」から遠ざかる。九州へ行くのにも新幹線や新大阪発の列車、あるいは飛行機などを利用したし、名古屋から西へ向かうのに乗ったブルートレインは「出雲1号」「あさかぜ3号」にとどまった。

昨年、「はやぶさ」が廃止されることが確実という報道がなされた。さすがに、初めてひとり旅をした列車がなくなるということには特別な思いを禁じえず、昨年11月、実に28年ぶりに「はやぶさ」のA個室に東京から熊本まで全区間乗った。

28年の間に、西鹿児島行きが熊本行きになり、「富士」との併結になり、食堂車はなくなり、ロビーカーは試すことなくなくなってしまったという変化をしてしまったが、28年前に思いをはせたり、古きよき時代を感じたりしつつ、一夜を過ごした。


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この月にはもう一度「はやぶさ」に友人と乗る機会に恵まれ、4人で開放B寝台に東京から熊本まで乗った。東京からブルートレインに乗る機会ももうないだろうという寂しさを感じながらも、最後の夜を楽しんだ。

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そして、1月に上り「はやぶさ」ソロに熊本から東京まで乗り通して、最後のお別れ乗車。

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これでもう乗る機会がないかと思うと本当に寂しいが、さて、最後の日に名古屋駅へ見送りに行こうかどうか、迷っている。大フィーバーになっているのは間違いなく、そんなところへは行きたくないという気持ちと、東京発の、そして名古屋を通るブルートレインの最期は盛大に見送ってもいいのかな、その一員になろうかな、という気持ちと、今のところは半々である。

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