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2009年3月 8日 (日)

「大垣夜行」&「ムーンライトながら」の思い出

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3月14日のダイヤ改正では、「はやぶさ」「富士」の廃止とともに、「ムーンライトながら」が季節列車化される。

いわゆる「大垣夜行」と呼ばれた時代から何度も利用してきた列車だけに、やはりひとつの時代が終わるような気がして、一抹の寂しさはある。

初めて「大垣夜行」に乗ったのは、1985年、中学2年の夏。つくば科学万博を見に行った帰りに東京から名古屋までグリーン車に乗った。「大垣夜行」には指定席がなく、グリーン車2両も含め全部自由席。ある本に、「何時間前に並べば座れますか」というような中学生からの質問が載ったほどの列車だったし、夏休みでもあったので、18時過ぎには東京駅ホームに並んだ。それでも、すでに並び位置にはいくつかの荷物や人間がいて、やはりと思ったことを覚えている。

上りに最初に乗ったのは、1988年4月。会津に行くために、大垣から東京までグリーン車に乗っている。このときも、2時間くらい前に大垣駅ホームに並んだと思う。

以上2回はいずれもグリーン車利用だったが、初めて普通車に乗ったのは、おそらく1992年の夏。仲間内で7泊8日かけて北海道・本州・四国・九州の4島を巡る旅をした途中、大垣から東京まで乗ったときである。

学生時代は意外と乗っていないような気がする。というのは、スカイメイト割引で飛行機に乗ったり、周遊券利用だとハイウェイバス「ドリーム号」の使い勝手がよかったりで、早くから並ばなければならない大垣夜行を積極的に利用する気がなかったからだと思う。

まあそれでも、一般的には若い世代に人気があったことは確かだろう。ある日、アルバイト先で一緒だった女子高生が、「今夜はディズニーランドへ行くために夜行に乗るから大垣まで行かなくちゃ」と言って早退したことをなぜかよく覚えている。

手許に記録がある1997年以降で見ると、下りが「ながら」、臨時「ながら」各1回、上りが「ながら」9回、臨時「ながら」3回、臨時大垣夜行2回、上下合わせて16回と、1年に1回強のペースで乗っている。やはり名古屋に住んでいると、下りは新幹線でその日のうちに帰ってしまおうということになるので、上りの利用が多いという結果になった。

この中で、臨時大垣夜行に乗った1回は、沼津で事故があった関係で静岡で運転が打ち切られ、「ながら」で富士まで運ばれて(もちろん立ちっ放し)、さらに富士では1時間くらい待たされて代行バスで沼津へ出る、という散々な経験をしている。

大垣夜行やムーンライトながらは、この列車に乗りたくて乗る、ということは皆無であったといっていい。幸いなことに、毎回乗車後はすぐに眠り、下車直前に起きるという感じなので、列車に乗った目的だとか、乗車前後の記憶はあるものの、列車そのものの記憶はほとんどない。

とはいえ、それなりの回数乗った列車がなくなるのはやはり寂しい。季節列車のダイヤは、上りは名古屋発が早くなった上に名古屋-豊橋間ノンストップとなり、これまで乗車によく使っていた金山が通過になってしまって個人的には使い勝手が悪くなった感じである。

でも、他の多くの列車がたどった「定期列車廃止→季節・臨時列車化→いつの間にかそれも廃止」とならないように願いつつ、折に触れて乗るように努めたいと思う。

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