同級生の訃報
訃報を知ったのは、おとといの火曜日、セントレアから帰宅する電車の中。
旅の余韻は完全に吹っ飛び、自宅にたどりつくまでの時間がずいぶん長く感じた。
彼は、旅を通じて知り合った十数人の同級生仲間のひとり。
存在を知ったのは高校生の時、つき合いが始まったのは大学生になってからだから、かれこれ20年になる。
ただ、彼とは格別親しかったというわけではない。会う機会といえば、年に1~2回、みんなで温泉に集まって一泊会をする時がほとんどで、2人で旅をしたこともなければ、2人だけで飲んだこともない。
それなのに、おととい以来、何とも言えない喪失感でいっぱいである。
今さらながら、彼は大きな存在であり、長年の仲間だったということを認識させられた。顔をあわせたり、話したりした時間の長さと、喪った悲しみとは必ずしも比例しないということも。
彼の言動は時に強烈なものがあって、当人がその場にいなくても、気になる存在であった。
みんなで集まる場にいなかったり、何かやろうとしたときに発言がなかったりすると寂しい気分になったものである。
昨年秋に職場の同期生を亡くしており、それだけでも辛く、今でも時折脳裏に現われる状況のところへ今回の訃報。この年齢で1年足らずの間に同期生・同級生を2人亡くすというのは、相当にこたえる。
でも、通夜や告別式では泣くもんか、と思う。
「お前、何いつまでぐずぐずしてんだよ。」と叱られそうな気がするから。
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