サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

2012年3月31日 (土)

続・春の嵐

結局、約4時間半遅れで水戸着。

今日の主役始め立ち会い人たちは、すでに水戸に戻ってきてました。

水戸でのんびりしていると、今日中に帰れないかもしれないので、主役に祝辞を述べただけで、早々に引き返すことに。

青春18きっぷなど利用の友人4人と一緒に、上野ゆき普通列車のグリーン車に乗りました。
水戸滞在わずか30分。

この列車、最初は順調でしたが、途中で架線に複数箇所ビニールが引っかかったり、下り列車が異音を感知したりで、土浦に2時間半抑止されるなど散々。

続・春の嵐

(写真は、土浦駅で撮ったもの。右側は、これも大幅遅れのフレッシュひたち24号)

今日の常磐線は終日風にやられた感じです。

水戸から5時間、所定ダイヤから8時間遅れで日暮里着。

ここから山手線に乗り換え、東京から名古屋行きひかりに乗って、帰路についています。

上野まで順調に帰って来られれば、みんなで宴会だったんですが、残念ながら時間切れでした。

続・春の嵐


ところで、今回の日帰り旅、ダイヤの乱れのため、目的地の常陸太田までたどり着けず、途中で引き返しています。
このため、運賃は名古屋へ戻った時点で全額戻ってきます。
また、上野から水戸まで乗った特急は、所定より2時間以上遅れたため、特急料金が全額払い戻しとなります。

つまりは、名古屋−東京の往復の新幹線特急料金と、水戸から日暮里までのグリーン料金だけで、水戸まで往復したことになりました。

一応、お得に旅ができたということになるのでしょうか。
まあ、こんな発想は趣味人しかしないでしょうが…。

こうして何とか帰ることができるのも、仲間が適切な助言をしてくれたおかげです。

一般人よりは数多く旅してるワタシも、今回は初めて尽くしでした。

ともあれ、主目的は果たせなかったものの、貴重な経験ができた、なかなか楽しい1日でした。

春の嵐

今日は、20年来の友人が常陸太田駅でJR全線完乗の運びとなったため、立ち会いに向かいました。

先月、ワタシの鉄道全線完乗の時に来てくれたので、返礼でもあります。

上野からフレッシュひたち13号に乗り、新型車両にウキウキしたところまでは順調。

春の嵐

ところが、関東地方に強風が吹き荒れており、土浦の先から徐行運転が始まり、ついに羽鳥駅で運転抑止となりました。
現在、常磐線は上野高萩間で運転見合わせとなっています。

春の嵐

列車が動かなくなってから、3時間を超えました。
車外へは出られますが、移動手段がなく、ひたすら待つのみ。

羽鳥駅のキオスクは閉まってるし、駅前にはコンビニもなし。

春の嵐

車内販売でお菓子を、駅の自販機で飲み物を買って、籠城戦です。

乗ってる列車がこれだけ長時間動かないのは初めてのこと。

まあ、どうしようもないので、ワクワクしながら、次の展開を待つとします。


…立ち会い人の何人かが同じ状況になり、完乗列車を1本遅らせてくれたのですが、このような状況で、残念ながら立ち会えませんでした。

先ほど、完乗列車が倒木に当たって一時ストップしながらも、何とか常陸太田に到着したとのこと。

難産だったけど、とにかく、おめでとう!

2012年3月23日 (金)

今年も異動の季節

今日内示がありまして、4月1日付で異動することになりました。
平成20年度以来の官庁街勤めに戻ります。

現職に就いて1年なので、内示をした上司曰く、「全く予期しておらず、内示の紙を示されてわが目を疑った」とのこと。

わが社の役職者の平均在職期間はおおむね2年といわれてますが、実際は1年契約みたいなもので、去就は内示日まで待たないと正直なところ分かりません。

なので、ひょっとしたら、という予感もないことはなかったんですが、残留の可能性のほうがはるかに高いと思っていたし、今の職場はなかなか快適なだけに、ちょっと複雑な思いです。

3年前に、「2度と三の丸(官庁街の所在地)には戻らない」と固く誓ったんですが(笑)、所詮人事は「人の事」。自分で決められるわけではなく、誓いはもろくも崩れ去りました。

4月からの仕事は、やや重たそうな感じ。
でも、平成20年度まで在籍していた職場がやっていた仕事でもある(私は同じ課内だったものの、違う担当でした)ということで、全く縁がない仕事というわけでもありません。

気持ちを切り替えて、新しい仕事に取り組むとします。

2012年3月11日 (日)

大震災から1年

今日は終日自宅に。午前中は名古屋ウィメンズマラソンを、午後は震災関係の番組と、大相撲春場所初日を観るなど、おおむねテレビを観つつ過ごしています。

14時46分には静かに黙祷を捧げました。
改めて亡くなった方々の冥福をお祈りします。


東日本大震災から今日で1年。

早くも1年経ったという思いと、1年経つのになかなか進まない復興の現状に歯がゆくなる思いとが交錯する今日。

優先順位のつけ方が間違っている野田政権(執念を燃やすべきことは消費税なのか?)、当事者意識が全くない東京電力経営者や「原子力ムラ」の人たち(福島浜通りをあんな風にした責任が全く感じられない)、遅々として進まない瓦礫の撤去(受け入れ反対?東北だけに苦しみを押し付けておいていいの?それじゃあ沖縄の基地問題と一緒。できることを冷静に考えましょうよ)、などなど・・・。

怒りを覚えることは多々あるが、それだけでは何も始まらないので、微力でも、復興のために自分ができる範囲のことをしていきたい。


さて、昨年の3月11日は金曜日。土日が出勤のため休日にあたっており、自宅にいた。

15時前、頭がふらっとした感じになり、一瞬めまいを起こしたのかと思った。
天井を見上げると、蛍光灯からぶらさがるひもが揺れており、めまいではなく地震だと気づく。
テレビをつければ、東北で震度7との速報。
経験したことのない、何とも気持ちの悪い、目が回るような揺れが長いこと続き、「名古屋でこうなら、震源地に近いところは大変な地震になっている」と思った。
それからはテレビに釘付けになり、以後連日、筆舌に尽くしがたい光景を目の当たりにすることになる。


大震災から2か月半前、2010年の年末に三陸沿岸を鉄道でたどった。
12月26日夕方、仙台から「南三陸3号」で気仙沼に行って宿泊。翌日早朝に気仙沼を発ち、盛~釜石~宮古とたどって、盛岡へ抜けている。

120311_130901

行程に特に明確な意図があったわけではなく、しばらく行ってないなと思って組み込んだに過ぎず、東北新幹線八戸~新青森間初乗りに行くためのついでという感じだった。
この時たどった沿線の街、列車に乗り合わせた人たちが津波に巻き込まれたかと思うと、いたたまれなかった。

そして、損壊したり、跡形もなくなったりした駅や路線。かつての記憶がよみがえった。

2010年末にたどったJR気仙沼線・大船渡線・山田線・三陸鉄道南リアス線、2010年の2月に行った仙台空港、常磐線いわき以北は2010年9月、跡形もなくなった大船渡駅に降りたのは1998年11月、北リアス線をたどり、島越駅に降りた1988年、高校2年生の夏・・・。

思い出も、自然の力で一瞬のうちに破壊された気がした。



昨年は行かなかった三陸沿岸に、今年は行こうと思う。

一部復旧した路線をたどり、今なお残る地震や津波の傷跡をこの目でしっかり見てみたい。特に、南三陸町の防災対策庁舎跡には、同じ地方自治体に勤める者として足を運び、祈りを捧げたいと思っている。

2012年3月 4日 (日)

院展 名古屋展

院展 名古屋展
会期が明日までなので、午前中出勤のあとに行ってきました。
ちなみに、院展の「院」は、日本美術院のこと。

実は院展に行くのは初めて。会期が短く、行きそびれていたのがようやくという感じです。

作品は全部で80点弱。
四季折々の風景に加え、朝の関西空港の飛行機、雪の駅構内、SLの動輪と、旅心をくすぐる作品が多々ありました。

旅好きの方には、絵画の展覧会を一度はご覧になることを勧めます。

きっと想像がふくらむ作品に出会えると思いますので。

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »