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2012年8月

2012年8月26日 (日)

常磐線・広野駅へ

昨夜は郡山泊。

磐越東線の始発でいわきへ出て常磐線に乗り換え、広野まで往復しました。

四ツ倉以北の海沿いを走る区間からは、震災の傷が見えましたが、広野駅は穏やかな雰囲気でした。

常磐線・広野駅へ

常磐線・広野駅へ

常磐線・広野駅へ

常磐線・広野駅へ


・・・昨日15時02分に原ノ町を出て、広野着が今日の8時14分。
常磐線で普通に南下できれば普通列車で約1時間のところ、途中下車しているとはいえこれだけの時間がかかっています。

不通区間に立ちはだかるのは、原発の警戒区域。
津波で被災した宮城・岩手の不通区間始め、台風や大雨による不通区間には、何らかの代替交通手段があります。
(長らく代替手段がなかった只見線只見〜大白川も、ようやく代行バスが走り出したとのこと。)

しかし常磐線広野〜原ノ町は代替手段がありません。
この間を移動しようとすれば、浜通りから中通りまで迂回せざるを得ません。

人災(私は福島第一原発についてはそう思っています)によって移動手段も絶たれているというのは、何とも理不尽です。

付言すれば、突然住み処を奪われた警戒区域の住民は、基本的人権を侵害されているんですが、政府や東電にはそんな意識はないんでしょうね。

・・・電車に揺られながら、改めてこんなことを考えていました。

2012年8月25日 (土)

常磐線・代行バス区間から原ノ町へ

青春18きっぷの残った2日分を使って、昨夜のムーンライトながらで旅立ち。

途中、新白河から郡山は新幹線、福島から槻木は高校2年生以来となる阿武隈急行に乗るなどして、岩沼から常磐線に入りました。

亘理から相馬までが代行バス区間。
たまたま新地だけ停車する快速と各停が同時発という時間でしたが、各停を選択しました。

どちらも半分くらいの乗りで発車。
山下駅代替停留所がある山元町役場は、外見はしっかりしているようなのが、よく見ると内部はかなり震災でやられた様子。
すぐ横に仮設庁舎が建っていました。
バスの乗客はほとんどが坂元までに下車し、相馬で降りたのは2人。

常磐線・代行バス区間から原ノ町へ

相馬で電車に乗り換えて原ノ町へ。
ここからは福島や仙台へ行くバスはあるものの、南下する術はなし。折り返すしかありません。
(駅舎から出るところに「当駅はバスの停留所ではありません。バスのことはバス会社に聞いて下さい。」という趣旨の貼り紙があったのはいかがなものか。こういうことを平気で掲示する感覚は理解できん。写真撮っときゃよかった・・・。)

原ノ町や相馬の券売機上の運賃表は、いわきも東京都区内も岩沼経由の表示。ちなみに上野方の開通区間の北端である広野の運賃表記はなし。

原ノ町の留置線には、色褪せたスーパーひたちの車両が、上野ゆきの表示をしたまま止まっていました。

常磐線・代行バス区間から原ノ町へ

特筆すべきは、駅名板に書かれている不通区間の隣駅、磐城太田が消されていないこと。
なぜか代行バスが走っているところでも、列車の不通区間の隣駅は白いシールで隠してあるところばかり(代行バスは列車と同じ扱いをするはずなので、こういう扱いはおかしいと思う)。
原ノ町からいわきへ向かう駅名が消されていないことには、意図したものかどうかは分かりませんが、それなりの思いを感じます。

折り返しの代行バスは、福島県側の最後の駅、新地で途中下車してみました。

常磐線・代行バス区間から原ノ町へ

新地町役場前のバス停から10分ちょっと歩いて、新地駅にたどり着きましたが、まわりに見えるのは空地と瓦礫。
レールも架線柱も跡形もなく、ホームと一部の構造物が残るのみ。

常磐線・代行バス区間から原ノ町へ



亘理へ戻る途中、もう一駅、浜吉田でも途中下車。

常磐線・代行バス区間から原ノ町へ

来春には亘理から浜吉田まで復旧するそうですが、駅のたたずまいは、架線がないのとレールが雑草で覆われているのを除けば、今にも列車が来そうな雰囲気。
掲示してある時刻表も、震災前のものがそのままありました・・・。

2012年8月19日 (日)

碓氷峠鉄道文化むら

碓氷峠鉄道文化むら

碓氷峠鉄道文化むら

上野から高崎へ戻り、横川へ。

未訪の碓氷峠鉄道文化むらを訪ねてみました。

園内は家族連れで賑わっており、旧線を利用したトロッコ列車も盛況。
複線の片方は「アプトの道」として整備され、温泉「峠の湯」や旧熊ノ平駅まで行けるようですが、今日は残念ながらパス。
トロッコを降りて温泉方向へ歩く人も多くいました。

碓氷峠鉄道文化むら


園内もざっと一周するだけになってしまいましたが、良かったのは寝台車オハネ12の中に入れたこと。
晩年は鈍行「山陰」などの寝台に使われていたそうですが、実物を見るのは初めて。
かなり狭いのは否めませんが、昔をしのぶことができました。

碓氷峠鉄道文化むら

他にも関門トンネルで使われていたEF30始め、懐かしい機関車も多く、短時間ながら楽しめました。

碓氷峠鉄道文化むら


横川から軽井沢へは、めがね橋を見ながら旧道を通るバスで。
バスも盛況、めがね橋付近にも観光客多数。

次に来るときはゆっくりとアプトの道を歩き、温泉に入ろうと思います。

寝台特急「あけぼの」

寝台特急「あけぼの」


寝台特急「あけぼの」

青森から上野まで、寝台特急「あけぼの」のB寝台ソロに乗って一夜を過ごしました。

あけぼのには過去2度乗っていますが、上野から大鰐温泉と、高崎から鷹ノ巣。
いずれもソロですが、全区間乗るのと上りは今回が初めてとなります。

夜行列車が少なくなり、特にいわゆるブルートレインは、定期列車では「北斗星」と「あけぼの」だけ。
できるだけ乗る機会を見つけて乗っておきたいと思って、今回の旅に組み込みました。

ソロは線路と平行にベッドが並ぶ造り。
両方の窓側に部屋があるので反対側の景色が見えないのと、ちょっと窮屈なのが難点です。
あと、以前はなかった転落防止のガードがついており、これがベッドメーク後の部屋の出入りに大きな障害。
誰か落ちた人がいてつけたんでしょうが、ここまでする必要があるのかどうか。

寝台特急「あけぼの」

寝台特急「あけぼの」

まあそれでも、個室でくつろげるのは大きな魅力で、難点を補って余りあるのは確かです。

乗車率は高く、特に秋田県内の各駅からの乗車が多いように見受けられました。
私の乗った5号車も、羽後本荘を過ぎたときにはほぼ全てが埋まっていました。

4号車は羽後本荘まで指定席としていますが、青森から乗車が多く、大館あたりでのぞいてみたらほぼ満席でびっくり。
1つのベッドに3人座っているさまは、ブルートレイン全盛期はこうだったかと思わせるものがありました。

起きてるときは発車時の衝撃が気になったものの(青森〜秋田の機関士、下手過ぎ)、寝入ってしまえば大宮到着20分前のおはよう放送までよく眠れました。

定刻に上野に着き、約12時間半の寝台特急の旅は終了。
もう少し乗っていたいという余韻を残して・・・。

寝台特急「あけぼの」

2012年8月18日 (土)

龍飛崎

三厩からバスで龍飛崎へ。

龍飛崎

龍飛崎に来たのは7年ぶり。
そのときは竜飛海底駅見学コースで来ていて、トンネル記念館始め灯台や階段国道を巡っています。

今回は時間があまりないので、未訪の竜飛崎温泉で一浴びして、階段国道を下って龍飛漁港から帰りのバスに乗ることにしました。

竜飛崎温泉は場所柄かしょっぱいお湯。
晴天のもと、渡島半島まで見える海の景色で、温泉がますます気持ちよくなりました。

龍飛崎

龍飛崎

温泉をあとに階段国道へ。
駐車場に観光バスが2台着いており、灯台へ歩く人や津軽海峡冬景色の碑の前で写真を撮る人などでそれなりの賑わい。

龍飛崎

階段国道始め、龍飛崎はあじさいが咲いていて、景色に彩りを添えていました。

龍飛崎

11年ぶりと24年ぶり

11年ぶりと24年ぶり


11年ぶりと24年ぶり

昨夜は大湊駅前の「フォルクローロ大湊」泊。
快適な一夜でした。

大湊には13〜4年前に一度しか来たことがなく、そのときは夜着いてすぐに折り返しています。

大湊線にもこのあと、11年前に下風呂温泉に行ったときに乗って以来。ちょうど下北交通大畑線の廃止2か月前で、期せずしてお別れ乗車となりました。

このような次第で、なぜか2度目もあまり景色を見た記憶が乏しく、今回初めてしっかりと車窓を眺めました。

今さらながら、有戸〜吹越間の陸奥湾の眺めはこんなに良かったのかというのが正直な感想。
海を見ながら原野を走る風景は北海道にいるかのようで秀逸。

11年ぶりと24年ぶり


大湊から乗った快速しもきた八戸ゆきは大盛況。大湊発車時点ですでに空席少なく、下北で大量乗車。野辺地では意外に下車が少なく、ほとんどが八戸まで乗り通すようでした。

野辺地から青森へ出て津軽線で三厩へ。
中小国から三厩までは高校2年のとき以来、24年ぶりの乗車です。

11年ぶりと24年ぶり

11年ぶりと24年ぶり

そのときは三厩で折り返し、津軽二股で下車、隣接する津軽今別から今はなき快速海峡に乗っています。
今のダイヤではなかなか難しいようですが。

そんなことを思いだしながら、列車に揺られました。

2012年8月17日 (金)

三陸鉄道北リアス線

今日は、大船渡を6時に出るバスで釜石へ、さらに岩手船越乗り換えで宮古へ。
昨日の気仙沼から、鉄道が不通になっている区間をバスでつなぎました。

一番のネックは大船渡〜釜石で、バスは4往復。しかも午前中は早朝の1本だけとあって、早起きを余儀なくされました。
まあ、旅に出てれば早起きも苦にならないからいいんですが。

車窓からも震災の傷が見えるところがいくつもあり、とりわけ大槌町や山田町は、相当な惨状。釜石や宮古も至るところに傷が残っています。

さて、宮古からは久々の鉄道。
三陸鉄道北リアス線を、未だ不通の小本〜田野畑をバスでつないで久慈まで乗り通しました。

三陸鉄道北リアス線

小本までの列車には地元客やワタシのような個人旅行者に加え、はとバスの団体客とボランティアに行くらしい若者の集団で盛況。
ボランティア集団は田老で、はとバスツアーは小本まで乗っていました。

小本では田野畑ゆきと岩泉ゆきに接続。団体客は待機していたはとバスに、あとの人達は二手に別れ、目的地へ散りました。

田野畑ゆきバスは内陸部を経由したため、津波にさらわれた島越駅は通らず。

田野畑駅前の眼下にある平井賀の集落も、低地は目の前にある海の威力に流されていました。


三陸鉄道北リアス線

三陸鉄道北リアス線

久慈ゆきの列車は団体客もなく、静かに走行。

前回と今回の旅で車窓から見る海の景色は、とても1年5か月前に一変したとは思えないほど美しく見えました。

三陸鉄道北リアス線


久慈で八戸線に乗り換え、八戸へ。
これで前回の旅と合わせ、三陸海岸を列車とバスで縦貫したことになります。

やはり自分の身体で感じることは得難い経験で、今後もできるだけ機会を見つけて、三陸海岸沿いの街を歩いてみたいと思っています。

三陸鉄道北リアス線

大船渡線・大船渡駅周辺

昨夜は大船渡駅前の「大船渡プラザホテル」泊。

昨年の震災、津波の被害により休業、12月に再開したとのこと。
実はここには十数年前に一度泊まっていますが、全く別のホテルのようにリニューアルされていました。

着いたときには日が暮れてしまったので、今朝早起きして駅周辺を見てみました。

大船渡線・大船渡駅周辺

大船渡線・大船渡駅周辺

ホテルの前の道路は、地盤沈下のため、かさ上げして整備されています。
ホテル隣のスーパー「マイヤ」は、国道45号線沿いにあって、昨夜買い物をしたんですが、元々はホテル横にあったんですね。
こうして見ると、ホテルを同じ場所で再開したというのは相当なことだったと思います。

大船渡駅は、ホームと線路が残るだけでした。
前回ここに立ったときはなかなか味わいのある駅舎があり、盛ゆきの一番列車に乗ったんですが、思い出は津波にさらわれてしまったような感じがします・・・。

大船渡線・大船渡駅周辺

大船渡線・大船渡駅周辺

大船渡線・大船渡駅周辺

2012年8月16日 (木)

陸前高田市内を歩く

陸前高田市内を歩く


昨夜名古屋を発ち、今朝仙台に。
一ノ関から大船渡線で気仙沼へ出て、バスで陸前高田へ向かいました。

まだUターンラッシュが続いているようで、気仙沼駅は降車客に加え、折り返しに乗る客でかなりの賑わい。

気仙沼から陸前高田へ向かうバスは、これまで2往復だったのが先週の土曜日から4往復に。
おかげで陸前高田の滞在時間が増えましたが、距離は近いのに、公共交通機関で行くには、心理的距離はまだ遠い・・・。

さて、バスに乗って気仙沼市内を進むと、道路の左手に陸に打ち上げられた大型漁船が。
まだ盆休みという感じで、かなり多くの見物人がいました。

この漁船は何度かテレビで見ていましたが、場所が鹿折唐桑駅前ということを今日初めて知った次第。
気仙沼市内はまた改めて歩きたいと思っています。

気仙沼から40分程で陸前高田市内へ。

バスを降りた陸前高田市役所前を起点に、スーパーやコンビニ、食堂始め商店が集まる竹駒地区、老舗そば屋が営業再開した栃ヶ沢、奇跡の一本松から被災した県立高田病院、陸前高田市役所、陸前高田駅と巡って、大船渡方面へ向かうバスの起点である鳴石団地前まで、5時間半かけて歩きました。
(天気が良すぎてかなり暑く、汗だくになりましたが・・・。)

老舗そば屋は、「やぶ屋」。
ここは、名古屋市から陸前高田市に派遣されている同期の友人に勧められた店。
(当の友人は現在名古屋で盆休み中。居れば陣中見舞いに行ったのに、残念。)

割と有名なところらしく、14時過ぎに行ったのに待ち客がいる盛況ぶり。
味もボリュームも結構で、賑わうのも道理。明日は臨時休業とのことで、危ないところでした。

竹駒地区やそば屋は賑わっていましたが、市街地は空地と瓦礫の山と被災した建物が続く光景。
自動車の通行量はやたらに多いものの、私のように歩いてる人は皆無。

でも、高田松原に残った「奇跡の一本松」はかなりの見物人がいました。
ここと、被災した市役所と駅の辺りには人がいましたが、ほとんどがクルマで来ていて、バイクや自転車が少々といったところ。
そういえば、志津川で見かけたような観光バスはなぜか見かけず。

被災した建物の中を見てみると、高田病院や市民会館、スーパー「マイヤ」は無残にめちゃめちゃ、市役所には破壊された乗用車が流されて来たままと、津波の恐ろしさを静かに物語っているようです。

陸前高田市内を歩く

陸前高田市内を歩く

駅は2本のホームが残るのみでレールも枕木もなく、近くの踏切は道路に埋まったレールと、警報器の土台だけが残っていました。

陸前高田市内を歩く

陸前高田市内を歩く

女川や志津川でも思ったことですが、震災直後の光景には無論相当衝撃を受けましたが、現在目の前に広がる、震災から1年5か月後の光景も、かなりの衝撃をもって伝わってきます。

ただ黙って、とぼとぼ歩く。
この夏歩いた被災地では、そんな感じになっていました。

2012年8月12日 (日)

豊川女子挺身隊

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お盆期間は遠出しないことが多く、今年も例年の如く。

唯一の外出が今日でして、タイトルの演劇を観に、豊川市まで行って来ました。

舞台となっているのは、豊川海軍工廠。
豊川海軍工廠は、国内最大級の規模を持った軍需工場で、1945(昭和20)年8月7日に大規模な空襲にあって壊滅。約2,500人が犠牲になったといわれています。
ちなみに、跡地は陸上自衛隊駐屯地や日本車輌豊川工場などになっています。
また、女子挺身隊は、戦時中、女性を軍需工場などに勤労動員したものです。

この公演については、NHKのローカルニュースや中日新聞で稽古の様子が紹介されてたのを見て関心を持ち、足を運んだ次第です。

会場は、御津文化会館(ハートフルホール)。合併前の旧御津町の地域にあり、東海道線愛知御津駅から徒歩10分弱。愛知御津駅に降りたのは初めてでした。

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定員400人の会場はほぼ満席。家族連れや、戦争を体験した年代、若い人と客層は様々。
出演者は市民公募だったとのことで、出演者の家族や友人もそれなりにいたことでしょうが、満席になるということはそれ以外の広がりもあったということを物語っています。
(開場までの段取りがやや悪かったのは残念。全席自由席のため、来た人に整理券を配って2列に誘導していましたが、並ばせるなら整理券を配る必要があったのかどうか。当日券を買う人や予約引き換えをする人との導線が悪く、整理券を配って分散させるか、もう少し会場を早めるか、今後一考を願いたいものです・・・。)

ちょっと前段が長くなりましたが、公演は休憩を挟んで2時間弱。
観に来てよかったと思える、非常に内容のある公演だったと思います。

勤労動員された若者たちの青春模様、精神を病んで帰郷する者、それぞれが持つ戦争観、戦争によって心身が疲弊していくさま、空襲の悲惨さ、国民を守らない軍人・・・、といったものが描かれ、観る者の胸に迫ってきました。

「戦争に勝ったってお前たちが死んだら何にもならない。とにかく生きて帰ってきてくれ。」
「私のお兄ちゃんが何をしたって言うの。戦争はしたい人が勝手にすればいい。戦争に勝ったって、お兄ちゃんは帰ってこない。」

前段は、休日に帰郷していた娘に対しての父親の言葉、後段は兄を戦地で亡くした挺身隊の1人が仲間に叫んだ言葉です(いずれも正確ではありませんが)。
特にこの2つのセリフが印象に残りました。

また、空襲のシーンは、いかに悲惨なものだったかがよく分かるように描かれてお
り、泣きそうになりました。もっとも、終演後、私の隣にいた見知らぬばあさまたちは「あんなもんじゃなかった」とつぶやいていましたが、確かにこればかりは経験した人にはかないません。
でも、戦後67年、経験した人はいずれいなくなっていくわけです。これは語り継がれるなり、勉強するなりして、少しでも近づくしかありません。

この公演は、9月29日(土)と30日(日)に、豊川市文化会館に会場を移して再演されます。

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・・・公演に関連して、日ごろ思っていることを2点。
ひとつ目は、「8月にしか戦争の話題が出ない」という論について。
広島・長崎の原爆、「終戦の日」がいずれも8月であることから、どうしてもそういう傾向はあるでしょう。でも、全く話題にならないよりは、年に1回でも考える機会があるのであれば、それはそれでいいのではないかと思います。
一番怖いのは、それすらなく、無知になることです。

もうひとつは、「あと半年早く戦争が終わっていたら」ということ。
豊川海軍工廠への大空襲が8月7日、つまり昭和天皇の玉音放送の1週間前。
広島への原爆投下は8月6日。長崎への原爆投下とソ連の参戦が8月9日。
アメリカ軍の沖縄上陸は4月1日。東京大空襲は3月10日。
また、中小都市への空襲が激しくなったのは、1945(昭和20)年になってからです。
何が言いたいかというと、現代になお惨禍を残す出来事は、終戦前半年に集中しているということです。
もし戦争が半年早く終わっていれば、原爆も中国残留孤児の悲劇もなく、空襲の犠牲者も増えず、沖縄が地上戦の戦場になることもなく、現状も変わっていたのではないか、という思いを禁じえません。

2012年8月10日 (金)

エスプレッソーダ

エスプレッソーダ
最近発売されたサントリーの「エスプレッソーダ」。

要はコーヒーに炭酸を入れた飲み物で、同種の商品はなぜか時折思い出したように販売されるような気がします。

同じような飲み物を確か7〜8年前に試した記憶がありますが、悪くはないけど何度も飲むかと言われれば微妙、という感じでした。

さて、今回もCMか何かで見てやっぱり試したくなり、今日仕事帰りに寄ったコンビニで買ってしまいました。

感想は、やっぱり微妙。
炭酸が強くてあんまりコーヒーの味がしないような。
個人的にはもう少しコーヒー味が欲しいなと思いながらパッケージを見ると、「コーヒー入り炭酸飲料」であって、「炭酸入りコーヒー」ではないんですね。
これではコーヒー味が薄いのも道理です。

不味いとは思いませんでしたが、もう一度選んでまで飲むかどうかは、何とも言えません・・・。

2012年8月 4日 (土)

2012大相撲名古屋場所総括

スポーツの話題はロンドンオリンピック一色で、プロ野球や高校野球などの話題も隅に追いやられてる中、今さら感たっぷりですが名古屋場所の総括を。

まず、全勝優勝した日馬富士から。

正直なところ、優勝、それも全勝するとは夢にも思わず。夏場所は千秋楽でようやく勝ち越す体たらくで、名古屋も良くて10勝程度かと思っていました。
まあ、うまく気合が乗って勝ち進んだということでしょうか。

秋場所で13勝以上なら横綱とか、場所後にはもうそんな話が出たそうですが、まず無理でしょう。それ以前に、振る舞いが粗暴に過ぎ、かつての朝青龍のような品性のなさが時折見られるのは極めて遺憾。初日の碧山戦で過剰な駄目押しをして見苦しい姿をさらけ出したのは恥ずかしいの一語。正直なところ、今の日馬富士に横綱になる資格があるのかどうか、はなはだ疑問です。

横綱白鵬について触れる前に、全勝同士の千秋楽決戦について。
1983(昭和58)年の千代の富士-隆の里以来29年ぶり、横綱-大関の対戦は1917(大正6)年の太刀山-大錦以来だそうですが、個人的には今ひとつ盛り上がらず。

理由は、番付最上位者の対戦でなかったから。
大正時代は今と制度も違うので置くとして、戦後の4例は、いずれも出場している番付最上位者が対戦しています。
名古屋場所で言えば、千秋楽結びの一番は、本来、横綱白鵬と大関稀勢の里であったはずのところ、順番を崩して大関で4番目の番付に位置する日馬富士を、白鵬の千秋楽の対戦相手に持ってきたわけです。いわば、作られた全勝対決。

結果的には取組を編成した審判部の狙い通り、2人とも全勝で千秋楽を迎えたわけですが、どちらかがそれまでに負けていたら興ざめだったかもしれません。

これまでは、千秋楽結びの一番は番付最上位者同士の対戦、という考えをかたくなに守ってきました。優勝争いよりも序列を重視してきたわけですが、ここへ来ての方針転換。
柔軟な考えで優勝争いが盛り上がっていいと思うか、節操がないと思うかは人それぞれでしょうが。


さて、横綱白鵬。
前半はかなり危なっかしい相撲が多く、よく全勝で千秋楽を迎えたと思います。
夏場所が10勝で終わったことを考えれば、横綱の責任は充分果たしたといえるでしょう。
ただ、下半身の安定感が失われていることは否めず、しっかり立て直さないと先が短くなってしまいかねません。稽古量が少なくなっているようなので、もう一度鍛えなおして欲しいもんですが、場所前「先場所前は稽古しすぎて調子が悪くなった」などというふざけた認識のままでは困ります。

当人の自覚を望みますが、それはそれとして、横綱審議委員会の委員長が「白鵬のピークは過ぎた」などとコメントしていたのは、甚だしく不見識です。これまでずっと大相撲を支えてきた功労者に対してあまりにも失礼な発言だと思います。
今の横審メンバーの発言には首を傾げざるを得ないものが多く、嘆かわしい限りです。

稀勢の里戦については後述します。


日馬富士以外の大関陣に目を向けます。

まず稀勢の里。今場所も自滅の感。
象徴的なのが白鵬戦で、ひとりで熱くなって勝手に負けたという印象。
立ち合いに変化して勝負をつけた白鵬を責める論が多かったように思いますが、確かに褒められた相撲ではありません。
でもあの一番に関しては、最後に冷静になれた者とそうでない者との差が出たということではないかと。
現状の稀勢の里では、とても横綱にはなれません。
ついでに言えば、朝青龍にしても白鵬にしても、横綱になる前には、「こいつは横綱になるな」という雰囲気がありましたが、稀勢の里はじめ今の6大関からは、残念ながらそんな雰囲気を感じません。

琴奨菊は可もなく不可もなしといった印象で、物足りない感じがありました。琴欧洲は今場所については皆勤し、9勝したことは評価してもいいのではないかと。把瑠都は後半戦ガタガタ、鶴竜は前場所に続いて存在感薄し。

とはいえ、大関陣全体としては、夏場所よりはましだったんではないでしょうか。


関脇・小結で光ったのは妙義龍のみ。技能賞にふさわしい、好感の持てる相撲っぷりでした。あとは語るほどの内容もありませんが、栃煌山は先場所後のブログで半ば予想したとおりでした。

夏場所優勝の旭天鵬は、名古屋では白星と黒星が反対の成績を予想していましたが、それ以上に悪い2勝に終わりました。さすがに初日から13連敗は予想外でした。

平幕で1人だけ挙げれば舛ノ山でしょう。さらに押し相撲を磨いて、頑張ってもらいたいと思える人です。


秋場所の話題は、日馬富士の綱盗りということになるんでしょうか。これについては先述したので繰り返しませんが、全体に相撲内容が充実した場所になるように望みます。

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