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2014年11月

2014年11月30日 (日)

市民の「第九」コンサート2014

市民の「第九」コンサート2014

今年で18回目の出演となった「第九」。
今日、本番を迎えました。

今年もリハーサルからなかなか仕上がりがよく、手応えを感じていました。
本番でも指揮者の北原幸男さんの指揮に合唱団がよく応えられた感じがあり、結構気合が入った合唱となったように思います。

名フィルの演奏も力強く、指揮者・オーケストラ・合唱団がよく溶け合って、手前味噌ながらかなりいい演奏会になったのではないかと自負しています。


練習は6月から週1回ペース。
仕事のきりがつかず、出席率は3分の2程度でしたが、何とかついて行って本番を迎えることができた、という感じです。

毎年思うことですが、本番の舞台は何とも言えない達成感があって、またやりたくなってしまいます。


コンサート終了後にあった合唱団の「解団式」では、恒例の錦織健さんの洒脱なあいさつで盛り上がり、さあラストというところで、少し気がかりとなるハプニングがありました。

例年とは違う終わり方となって、ちょっと心配ではありますが、大事ないことを祈ります。


終了後は、観に来てくれた友人たちと打ち上げ&忘年会。
かなり盛り上がって、心地よく帰宅し、気分よくエンディングを迎えました。


来年以降も、参加できる限りは、続けていきたいと思います。

市民の「第九」コンサート2014

【プログラム】(当日配布のパンフより抜粋)


ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン作曲
「エグモント」序曲 作品84
交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱付」


<演奏>
指揮:北原幸男

管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団

独唱:ソプラノ 長屋弘子/アルト 相可佐代子/テノール 錦織健/バス 澤脇達晴

合唱:市民の「第九」コンサート2014特別合唱団

2014年11月29日 (土)

映画「レッド・ファミリー」

映画「レッド・ファミリー」

今日の昼間は伏見のミリオン座で映画鑑賞。

観たのは、予告編を観て面白そうだった韓国映画「レッド・ファミリー」。


隣同士に住む2つのファミリー。
片や北朝鮮のスパイ4人のニセ家族、こなたケンカの絶えない韓国人家族。

お隣さんとして関わることでお互いの「家族」に起きた出来事を、面白さとスリルをもって描いた作品です。

映画「レッド・ファミリー」

これは期待を裏切らない面白さでした。

風刺も効いているし、最終盤ははなかなか感動的、それを受けたラストは、観る者の想像をかきたてられるもので、秀逸なストーリー。

あわせて、「家族」について思いを致す内容にもなっています。


なお、極めて個人的な好みですが、北朝鮮スパイ一家の娘を演じたパク・ソヨンが魅力的だったことを付言しておきます。

2014年11月24日 (月)

種村直樹さんを偲ぶ

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レイルウェイ・ライター種村直樹さんが、去る11月6日に亡くなった。

私にとっては、趣味の鉄道旅行の先生であるのに留まらず、人生において大きく影響を受けた大恩人と言える方で、訃報に接して2週間以上が経つが、今も心に大きな穴が開いたようで、寂しさが拭えない。


種村先生との出会いは1984年、中学1年生の時。
図書館で著作『種村直樹の汽車旅相談室』に触れ、先生の世界に引き込まれ、その他の著作も借りまくって読みふけり、先生は私にとってたちまち「憧れの人」となった。
「汽車旅相談室」は、その憧れの人に直接手紙を送って質問できる、というもので、すぐさま質問の手紙を送り、返事が来たときは「本当に来た」と感動したものである。

先生の旅は、読者と一緒に旅を楽しむというスタイルが多く、紀行関係の著作に読者が実名で出てくるのをうらやましく感じ、私も、先生に近づけたらいいな、名前を覚えてもらえれたらどんなにいいだろう、という思いを抱いた。
そして、読者サークル「種村直樹レイルウェイ・ライター友の会」の存在を著作を通して知り、先生に入会方法を質問して、事務局へ入会希望の手紙を書いて入会した。


先生に初めてお目にかかったのは1986年4月、中学3年生のとき。
名古屋の鉄道100周年にちなみ、CBCラジオ「ばつぐんジョッキー」の公開放送が笹島貨物駅跡(現・ささしまライブ)で行われ、かつてこの番組のパーソナリティを務めていた先生がゲストで出演。
番組終了後、新幹線で帰京する先生を見送りに、名古屋駅ホームまでついていったことを鮮明に覚えている。

友の会では、毎年のように先生が参加する汽車旅イベントが有志で開催されており、初めて参加したのは中学3年生の夏。
国鉄最後の夏で、北海道から九州までの鈍行乗り継ぎの旅が三重県から関西を通過するのに合わせ、2日間参加している。
先生の周りは常に多くの読者が取り囲んでおり、話しかけるのも至難の業。
それでも、なるべく先生の近くの席に座り、周りの人が少なくなるのを見計らって、そばに寄って話しかけたり、著書にサインをもらったりと、何とか先生の息吹を感じようとしていた。
この時、イベントの幹事を務めておられたのは大学生の方々だったが、あまり世間を知らない中学生から見ると相当大人に思え、幹事を務める人というのはすごいなと感じた。また同時に、どこかで漠然と「こんな風になれたらいいな」とも思っていた。


高校生になり、夏休みにはイベント開催に合わせて、未知の土地への旅行を楽しんだ。
1987年、1年生の時は、翌春廃止となる青函連絡船に乗って北海道へ。
1988年、2年生の時は東北へ行き、この春開業した青函トンネルを通った。
大学生になってからも、イベントに合わせて未知の路線や土地を訪ね、世代を超えた旅仲間も増えるなど、どんどん世界が広がっていった。

イベントに付き物なのが、最終日の夜の「一泊会」で、かなりのお酒を召した先生と、参加者たちとで遅い時間までいつも盛り上がり、私も大人になったような心持がしたものである。
とりわけ印象に残ったのは、翌朝、朝食会場に現れた先生の、昨夜のお酒が全くなかったような、シャキッとした様子。
「大人の酒の飲み方というのはこういうものか」と妙に感心し、これは今まで自分自身の心掛けとしているつもりである。

イベントの他に、年に2回開催される友の会主催の読者の集い「おしゃべり会」にも参加し出すなど、積極的に活動するようになったこともあってか、大学に入る前あたりから、先生にも、顔と名前を覚えていただけるようになった。
関東や関西に比べて、名古屋からイベントに参加する読者が比較的少なかったことに加え、関東や関西在住の同学年の人たちが数多くいたことが、先生の印象に残った理由ではないかと思う。
その意味では、きわめて恵まれた環境にあったと言え、先生が引き合わせてくれたこの同学年の十数人とは、今でも親交が続く、かけがえのない仲間となっている。

そして、1992年夏に行われた、100人程が参加する7泊8日の乗り継ぎイベントの幹事の一員に名を連ねることとなった。大学3年生の時である。
中学3年生の時の乗り継ぎ旅への部分参加から6年、参加者の立場で触れた、当時の幹事がなさっていたことも思い出しながら、また、他の幹事や参加者、とりわけ同学年の仲間に支えられながら務めたことは、忘れ得ぬ貴重な経験である。
このほか、「おしゃべり会」の司会を大学生時代に1回、社会人時代に3回務めさせてもらったが、これらを通してイベントの廻し方というのを私なりに経験したことも、大きな財産になっている。


現在の私があるのは、先生が導いてくれた仲間との出会い、これらの経験の賜であり、感謝してもしきれない。
(余談だが、2001年に現在の自治体職員に採用され、最初の職場となったのが、中学1年生の時に先生の著作と出会った図書館だったことには、因縁を感じずにはいられなかった。図書館勤務の3年間、仕事の合間に書庫へ行って、先生の古い著作に親しんだものである。)

著作にも何度か名前を出していただいたし、仕事場へもお邪魔したり、旅のお供を何度かしたりと、社会人になっても「憧れの人」先生にお目にかかることは楽しいことであり、嬉しいことであった。


先生からは、著作を通して、あるいは直接に、鉄道旅行の楽しさはじめ、物の見方を教わった。また、先生と接し、イベントに参加することで、集団での振る舞い方とか、年上の方への礼儀といったことも自然に身に着いた。

先生に出会ってなければ、「趣味は鉄道」というのは今まで続いていなかっただろうし、JR全線完乗や日本の鉄道全線完乗を果たすこともなく、これほど温泉好き、蕎麦好きにはなっていないと思う。例え続いていたとしても、偏狭な視点しか持てない、単なる鉄道マニアになっていたかもしれない。


先生は2000年に病に倒れた後、残念ながら著作に精彩を欠き、行動力にも衰えがみられるなど、かつてを知る者にとって、間近でそれを見ることはとても寂しいものがあった。

2010年末に再度倒れてからは、病院で療養生活を送られ、お話を伺うことも、執筆することもかなわなくなった。好きなお酒も、たばこもたしなめなくなった。行動派だった先生だけに、ご自身に対してもどかしい思いもおありだったろうと思う。
何度かお見舞いに伺ったが、私の顔や話すことはお分かりになったようで、喜んでいただいた(と勝手に思っている)。

今年に入ってからはなかなかお見舞いに伺えず、11月15・16日と、観劇で上京するのに合わせて久々に伺おうと思っていた矢先の訃報であった。



11月11日に通夜が、12日に告別式が東京で執り行われた。
せめてもの感謝の思いを表すべく、お花を供えさせてもらうとともに、通夜だけは午後3時間の時間休暇を取って何とか参列し、先生に最後のお別れをすることができた。

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葬儀場には生前の写真や直筆の原稿、数々の著作が飾られ、昔に思いを馳せるとともに、久しぶりに会う旅仲間もたくさんいて、先生に導かれた縁を感じた通夜だった。

いつかはこういう日が来ることは分かっていたものの、やはり寂しい。
恩返しもできないままであったが、鉄道を愛し、温泉でのんびりし、蕎麦を味わい、旅先の郵便局で貯金をすることで、感謝の念を捧げ続けたい。


先生は、今頃、黄泉の国で、先に旅立った読者たちと、思いっきり汽車旅を楽しみ、温泉に入り、お酒やたばこを存分に味わっておられることでしょう。
折に触れ、先生がお好きだったお菓子をお供えに、線香をあげに行きますので、楽しみにしていて下さい。


種村先生、本当にありがとうございました。

2014年11月16日 (日)

歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」

歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」



今日の昼間は歌舞伎見物。


2日前に残席を見たら、前から3列目、かつ花道に近い席が空いていたので、買ってしまいました。

良席と言われるのはいわゆる「とちり」の列、7~9列目ですが、前の方も役者が間近で観られ、迫力があります。


歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」


この顔見世は、松本幸四郎、中村吉右衛門の父、初世松本白鸚の33回追善と銘打っており、子の幸四郎、吉右衛門、孫の染五郎、ひ孫の金太郎(夜の部のみ)が出ています。


歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」


昼の部は「寿式三番叟」で幕開け。
縁起物の舞踊で、鈴を鳴らし、舞台を踏み鳴らして、染五郎と尾上松緑の2人で舞い上げた三番叟。
美しさと迫力を感じました。


2つめは「井伊大老」。
井伊暗殺の4月前、前日、当日を描いた作品ですが、戦後の脚本によるものなので、台詞回しは現代劇に近く、長廻しもあります。

井伊を演じたのは吉右衛門で、貫禄あり、華もありと、圧倒的な存在感で、さすがの舞台でした。


締めは有名な「熊谷陣屋」。
こちらは古典ゆえ、一般的な歌舞伎のイメージである独特の節回しで台詞が語られます。

幸四郎が熊谷直実、尾上菊五郎が義経を演じるなど、豪華な配役。
豪華な布陣にふさわしい華もあり、重みもありと、充実の内容でした。


名作は時代を超えて人の心を打つものと、改めて感じた次第です。




P.S.幕間には名物「歌舞伎座アイスもなか」を。
皮には隈取りの模様が刻まれています。

歌舞伎座「吉例顔見世大歌舞伎」

2014年11月15日 (土)

紫式部ダイアリー

紫式部ダイアリー


今夜は久々の観劇。
渋谷のPARCO劇場で「紫式部ダイアリー」を観ました。


今回の上京は、もともとこの芝居のチケットがとれたことから予定したものです。

三谷幸喜脚本で、斉藤由貴と長澤まさみの2人芝居という、観る前から楽しみな陣容。
(斉藤由貴は、私がたぶん最初に好きになったアイドルかもしれません。まあ、どうでもいいですが。)


斉藤由貴が清少納言を、長澤まさみが紫式部を演じますが、時代は平安時代ではなく、名前と設定だけは残して、女性作家2人の現代劇になっています。


2人の掛け合いは、時に激しくぶつかり、時に笑いを呼び、時にスリリングにと、見応えがあり、あっという間の1時間45分でした。
やはり三谷幸喜脚本は面白い。


斉藤由貴の舞台は「レ・ミゼラブル」や「君となら」で観たことがありますが、長澤まさみは初見。

ゆえに、長澤まさみの出来に注目していましたが、予想以上に良く、声も通るし、結構舞台向きかもしれません。
それを斉藤由貴が受け止めて渡り合い、いい舞台になっていたように思います。


↓公演のパンフ。なかなかシックな作り。
紫式部ダイアリー

江戸東京博物館特別展「東京オリンピックと新幹線」

江戸東京博物館特別展「東京オリンピックと新幹線」


今週末は東京へ。

実は上京は今週2回目です。
1回目については改めてしっかり書くつもりですが、予期しなかったもの。
今回はもともと予定していたものですが、行程は大幅に変わりました。


午前の東海道新幹線は、狼藉者の影響でダイヤが乱れており、私の乗ったのぞみ6号も、名古屋発は定刻だったものの、新横浜の手前から遅れ出し、東京着は20分延。


最初の目的地は江戸東京博物館。
明日16日までの特別展「東京オリンピックと新幹線」を観るためです。

江戸東京博物館特別展「東京オリンピックと新幹線」


まず、メインテーマの新幹線関係、オリンピック関係とも充実した展示。
(個人的に目を引いたのは、1940年の「幻の東京オリンピック」開催決定・中止を伝える号外)


加えて、前史的に終戦から高度成長期を紹介する展示は、日本国憲法公布の官報号外やカストリ雑誌始め、当時の社会の様相がよく伝わって来るもの。


また、東京パラリンピックについてもきちんと紹介されており、全体を通して、企画した側の見識を感じました。



常設展示室では、「モダン都市銀座の記憶」と題した企画展が開催中だったので、こちらものぞいてみました。

江戸東京博物館特別展「東京オリンピックと新幹線」

写真家・師岡宏次が戦前から50年にわたって撮った写真を中心に、銀座の変容をたどる内容で、とりわけ戦前から戦後間もない頃までの写真は興味深く観ました。


この企画展は11月30日までです。

2014年11月 1日 (土)

第50回 名古屋市立高等学校音楽会

第50回 名古屋市立高等学校音楽会

今日は、アートピアホールへ。

名古屋市立高校全14校の音楽部がそろって出演する音楽会を観てきました。
今年で50回となる歴史ある音楽会なのに、聴きに行ったのは初めてです。


10時から始まって、終わったのは16時前。
全体的に「なかなかやるじゃん」 という感じで、高校生のパフォーマンスをたっぷり楽しむことができました。


午前中は軽音楽とジャズ。
若者らしいステージに好感は持てましたが、惜しむらくはボーカルの声が総じて楽器に負けていること。
マイクが何回か不調を来していたことを差し引いても、もう少し発声を鍛えるべし。

第50回 名古屋市立高等学校音楽会

午後は邦楽と合唱、吹奏楽・管弦楽。

午前の部終了から午後の開演まで25分しかなく、日頃接する機会が少ない邦楽を聴こうと、大急ぎで昼食を済ませました。


邦楽は、菊里高校箏曲部、名東高校能楽研究部、緑高校和太鼓部が出演。
どれも迫力と美しさがあって、特筆すべき素晴らしい舞台でした。

休憩時間が短かったせいで昼食から戻って来れなかった人も多かったのか、これだけの舞台なのに観衆が少なかったのは出演者に気の毒。


合唱や吹奏楽・管弦楽は、どこもなかなかの水準。
合唱は少ない人数で頑張っている学校もあり、毎年半年だけ合唱をしている私も、応援したくなります。

演奏の方は各校のカラーがよく出ており、まさに音を楽しめたステージでした。

第50回 名古屋市立高等学校音楽会

来年以降も、市立高校生を応援する意味も込めて、できるだけ足を運びたいと思います。

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