さようなら、中日ビル。
名古屋・栄にある中日ビルが今日閉館し、53年の歴史に幕を閉じた。
老朽化で建て替えは避けられず、いつかはこの日が来るとは分かっていたが、私自身、中日ビルは子どものころから最も親しんできたビルであり、閉館はとてつもなく寂しい。
すでに1月末でほとんどの入館施設は営業を終えていたものの、閉館前の3日間は「さよなら見学会」が開催され、ビル内の主要施設が開放されることになった。
なかなか粋な計らいで、これはぜひとも行かねばと、最終日の今日、中日ビルへ足を運んだ。
見学会の様子とともに、思い出を記しておきたい。
見学会の受付は1階で。ここで、クリアファイル(先着500人のみ)と、リーフレットをもらう。
(リーフレットの表紙は「地球の歩き方」風だが、地球の歩き方編集室から許諾を得ている旨、裏に注釈があった)
エレベーターでまずは屋上へ。エレベーターガールが復活しており、多分OGさんだろう。
屋上は夏季にビアガーデンとして開放されており、私も何度か行ったことがある。
かつては回転レストラン「ばるーん」があったが、2000年代初めに閉店してしまった。
(左下の写真の右側にあるのが回転レストラン跡。)
12階は「クラブ東海」。会員制サロンゆえ、入ったのは初めて。ここの大会議室は、中日ドラゴンズ関係の会見が開かれた場所でもある。
9階は中日劇場。
高校生の頃からミュージカルや芝居を観に何度も通ったが、どこに座っても観やすい劇場だった。
名古屋に専用劇場ができる前は、劇団四季の公演は中日劇場で上演されていたのでよく行ってたし、「レ・ミゼラブル」の最初の公演を観たのもここ。
建て替え後のビルに劇場が造られないのは残念である。
昔をしのびながら座席に腰を下ろすと、しばらく動けなかった。もう二度と来ることはないかと思うと寂しい。
5階は中日パレス。ここも宴会やイベントで何度となく利用した場所だが、心地よく過ごせた記憶しかない。
4階は中日文化センター・医療コーナー・全国センター。
中日文化センターは大学3年・4年とアルバイトしたところ。大変居心地がよく、勤務も学生の自主・自律に任されていたいい時代だった。
もう四半世紀前ゆえ、当時とは様子が随分変わってしまった。文化センターは移転して今も健在だけど、学生バイトはなくなってしまったと聞いた。
医療センターは数件の医院が入居しており、何度も入れ替わりがあった。
通院したことはないが、昔、伯母がここで看護婦(まだ看護師とは称していない時代)として勤めており、名古屋市内に住んでいた唯一の親戚だったこともあって、大変良くしてもらった。勤め先に行ったこともあるし、ビルの1階で待ち合わせて食事をごちそうしてもらったことも何度もある。その伯母も4年前に亡くなり、中日ビルも閉館とあって、完全に昔の思い出となってしまった。
全国センターは各県の事務所が入っていて、何度か観光パンフなどをもらいに行ったところ。
1階を通り越して、地下2階へ。
中日ビルへは地下街から入ることが大半で、ここが玄関のようなものであった。
中日ビルには飲食店も数多く入っていて、私もよく利用させてもらった。
とりわけ利用したのがあんかけスパゲッティの店「チャオ」で、入居施設の中で唯一今日まで営業。
敬意を表するのとお名残をあわせて、昼食はここで。
チャオ自体は市内にいくつか店があるが、この地からなくなってしまうのには特別な思いがある。
食後、1階ロビーへ。
ここも待ち合わせによく使った場所で、思い出がいろいろ頭を巡り、何度かロビーと外を行き来してしばし佇んだり、写真を撮ったりして、しばらく立ち去り難かった。
なお、大理石やタイルで描かれた天井画は、建て替え後のビルに残されるとのこと。
ロビーの一角にメッセージボードがあって、多くの人がそれぞれの思いを書き記している。普段はまず書かないが、私も謝意を書き残した。
思い出がいっぱい詰まった中日ビル。
閉館は残念だけど、最後に来られてよかった。
さようなら、そしてありがとう、中日ビル。
最近のコメント