経済・政治・国際

2007年12月 8日 (土)

今日は何の日

27年前、1980年12月8日は、ジョン・レノンが暗殺された日だとか。

さらにさかのぼって、66年前の1941年12月8日は、日本の真珠湾攻撃により、対米英蘭戦争が始まった日である。

19時のNHKニュースでは、ジョン・レノン追悼のニュースを取り上げていたものの、戦争関連の話題には触れていなかった。

まあ確かに、いわゆる太平洋戦争はいきなり始まったわけではない。


ここへ至る過程として、少なくとも1937年7月7日の盧溝橋事件に端を発する日中戦争、1931年9月18日の柳条湖事件により起こした満州事変があるわけで、12月8日のみをことさら大きく取り上げるのもおかしいといえばそうもしれない。


しかし、日本が破滅の最終段階へ踏み出した日として、記憶にとどめなければならない日だと思う。


さて、ここにタイトルがズバリ『1941年12月8日』という本がある。

今日は何の日

この本は、1991年に岩波ジュニア新書として刊行されているが、著者の江口圭一先生は、僕の大学時代のゼミの教授である。

大学1年の時に、江口教授の「日本政治史」の講義を履修したことで、もともとこの時代の歴史に関心があった僕は大いに刺激され、ひきつけられた。


卒業後も、何度かこっそり「日本政治史」の講義を聴きに、大学へ足を運んだほどである。


この本は、ジュニア新書ということもあって、「1941年12月8日」に至る過程と、この日から敗戦に至るまでの過程が分かりやすく記されている。

16年前に記されたものだが、少しも色あせていない。

実は、この本は当然のことながら出版直後に買ったのだが、2年後に紛失してしまい、そのままになっていた。

最近、またどうしても読みたくなって、いくつか書店を巡ってようやく見つけたという、いわくつきの本である。

(インターネットで買えば簡単に手に入るものではあるのだが・・・)


江口先生は、4年前、定年退官後間もなく亡くなった。今の時代にこそ、先生の活発なご発言を期待したかったと思うだけに、残念でならない。



閑話休題。

私の知人に、必ず「大東亜戦争」と言う(というか書く)人がいて、ちょっと困ったもんだと思っております。

「大東亜戦争」は、時の政府が決めた呼称ではあるものの、根拠が「大東亜新秩序建設を目的とする戦争だから」なんです。

この「大東亜新秩序」なるもの、欧米の植民地支配から東アジア・東南アジアを開放しようという名目だったものの、実際は日本が欧米にとって代わっただけという、まやかし以外の何ものでもありません。

よって、現在使うのは相応しくないと思うんですが、戦中派の方々は無意識にお使いになるのかもしれません。

ご当人に指摘すべきかどうか、いつも考えてしまいます・・・。

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2007年9月26日 (水)

福田内閣発足

福田康夫首相および閣僚が任命・認証されて、福田内閣が今日正式に発足した。

とにもかくにも、前首相が国政をぐちゃぐちゃにしてしまっているので、まずは当面の課題に誠実に取り組んでもらいたいと思う。

まあ、福田首相は手堅くはやるでしょう。安倍内閣の閣僚の入れ替えをほとんどしなかったところにも(そうなるには水面下ではいろいろあったにせよ)手堅い姿勢がよく現れている。

確かに、「政治とカネ」の面で怪しげな人もいるが、閣僚になって1か月。ほとんど仕事ができていない状況では評価のしようがないので、この首相判断は是として、しばらくは仕事ぶりを見たい。


とはいえ、僕自身は福田首相のやや人を小ばかにしたような言動はどうにも好きになれない。父の赳夫氏のような洒脱さがあるわけではないし、とりあえずは手堅いだけが売りでは、首相の器にふさわしいかどうかは疑問である。

そもそも、参議院の少数与党の状況や、自民党役員決定の際、古賀誠氏に押し切られたような経緯を見ると、早晩行き詰ることは避けられないだろう。

やはり、この内閣は「選挙管理内閣」と割り切って、早期の解散・総選挙に臨むことを最大の仕事にするしかないと思う。



安倍内閣についての総括も少し。

唯一評価してもいいと思うのは、小泉首相時代に八方ふさがりになってしまった中国・韓国との関係を改善したこと。

これ以外は全くダメ。教育基本法はじめ教育関係法の改正、国民投票法の制定、防衛庁から防衛省への昇格など、実績めいたものがあるが、拙速な国会審議で、数の力に物をいわせて成立させただけ。

あとは「美しい国」だの「戦後レジームからの脱却」だのと、言葉が踊り、独りよがりの姿勢に終始して結局は政権を投げ出すに至ったわけで、この国を混乱させただけに終わった感じである。

病院での退任の弁で、ようやく「最悪のタイミング」での退陣だったことを認め、国民に陳謝したが、遅きに失した。「1か月くらい体調が悪かった」と告白したが、そうであればなおさら早い時点での退陣を決断すべきだったわけで、自ら首相の器でないことを認めたようなものである。

このような人物を首相にし、かつ参議院選挙惨敗でも続投を容認してしまった与党の責任は厳しく問われるべきであり、総選挙の時まで忘れてはならない。

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2007年9月12日 (水)

安倍首相、突然の辞任表明

安倍首相が、突然辞任を表明した。

僕自身は、一刻も早くこの人には首相を辞めてもらいたいとは思っていたが、この時期の辞任表明には、驚き呆れると同時に、憤りを禁じえない。


2週間前に内閣改造したばかりで、おととい所信表明演説をし、これから代表質問を受けようとする直前になぜ辞任を表明するのか。無責任で、常軌を逸しているとしか思えない。


思えばこの人は、常に国会を軽視してきた。

相次ぐ強行採決。参議院選挙で大敗しても政権の座にしがみつく。あげくに所信表明演説直後の辞意表明。

このような国権の最高機関をないがしろにしているとしか思えない行為の数々。国会を軽視しているということは、主権者である国民を軽視していることと同義である。

大体、参議院選挙で大敗しても辞めなかったのに、テロ特措法延長問題では、勝手に海外で延長を「国際公約」し、「職を賭して取り組む」とは、国民の意思よりアメリカの意向に添えないことのほうを重要視しているとしか思えない。

普通、一国の首相がそこまで言うのならば、不退転の決意でこの問題に取り組むのだろうと誰もが思うはずである。しかしながら首相を取り巻く環境は厳しく、追い詰められたと感じてしまったのか、代表質問を受ける自信もなくなったのか、「もうやーめた」と政権を投げ出したという感じであり、まったく無責任の極みというしかない結末となった。

このような状況になることは、参議院選挙惨敗の結果から容易に想像できたはずであり、今急に状況が変わったわけではない。それなのに今頃になって状況の厳しさに耐えられなくなった、というのならば、基本的に政治家としての資質を欠いているのであって、そもそも首相になってはいけなかったのだ。


一方、辞任の理由として、健康に問題があったからではという説もある。もしそうであるならば、内閣改造前に決断しなければならなかったし、昨日今日に政権を担えない健康状態であることが分かったから辞める、というのであれば、きちんと説明すべきである。


結局、この人は最後まで「ピントが外れていた」ということだろう。国民が当面解決すべき課題とは思っていない「戦後レジームの脱却」にこだわり、選挙で惨敗しても自分の目指す方向は支持を得ていると強弁する。そして辞めるべきでないタイミングでの辞任表明。とどめは、国民に対して混乱を詫びることばが全くなかった記者会見。


間違いなく、史上最低最悪の総理大臣の一人に列せられるだろう。このような人には、二度と政治の表舞台に出ることなく、政界からもさっさと身を引いてもらいたい。

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2007年8月27日 (月)

安倍改造内閣発足

まあ、一応触れておきましょうかね。


一口に言えば、どんよりと重苦しい顔触れの内閣。「人心一新」という割には、留任も多いし、清新さに欠ける顔触れの数々。

特に、町村外相なぞ最悪ですな。この人の言動には、どうも「自分は特別な人間だ」と言わんばかりの偉そうなというか、人を見下したような感じがするので。大した仕事も出来そうにないのに、態度だけは大物。大嫌いです。


そんな中で、僕が唯一期待するのが、前岩手県知事の増田総務相。知事時代から、地方分権の推進を唱えていた人なんで、大臣としてどの程度力を発揮できるのか(あるいはできないのか)、注目したいと思います。

もう一人、人物としてはあんまり好きじゃないけど、注目してるのは舛添厚労相。もともとは国際政治学者なのに、実母の介護経験からすっかり「福祉の人」になりました。とかく問題を抱える省庁だけに、どのような手腕を発揮するのか(あるいはできないのか)は、注目しています。

この2人以外は、見るべきものはないでしょう。大体、いまだに安倍氏が首相であること自体が信じられないんでねえ。記者会見でも、参院選で否定されたはずの「戦後レジーム」云々を未練がましくのたまうなど、空気の読めないのは相変わらずのようだし。


まあ、何か月持つのかも含め、とりあえずはお手並みを拝見というところでしょうか。

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2007年8月15日 (水)

終戦の日に~ある候補者への想い

時の流れは速いもんで、先の参議院議員選挙の話をしようとすると、ずいぶん昔のことに触れるような錯覚に陥る。

しかしながら、終戦の日に際して是非にも書いておきたいことなので、私情が強くなるかもしれないが、あえて書く。


愛知選挙区は、自・民・公・共・社の主要5政党から候補者が立ち、全国から注目される選挙区となった。結果は民主2・自民1で議席を獲得し、公明党は惜敗、共産党は善戦及ばず、社民党は主要政党とは思えぬ大惨敗、であった。

その大惨敗した社民党公認で立候補したのが、平山良平先生である。

彼を「先生」と呼ぶのは、政治家だからとりあえずそう言っておくとか、また逆に揶揄する意味で言っているとかではない。僕が中学3年生の時のクラス担任であり、今は現役の教員ではなくても、僕にとってはいつまでも「先生」だからである。



先生は、当時(20年前)「変わり者」とか「協調性がない」などと言われていた。

理由のひとつが、「職員室に喫煙スペースを設けるべし」と、裁判を起こしたことだ。

タバコを吸うなとは言わないが、吸わないものが害を受けないような措置を講じて欲しいという趣旨だったはずで、現在は名古屋市立の学校の敷地内が全面禁煙になっていることを考えると隔世の感がある。

今考えれば、先生にはずいぶん先見の明があったともいえるが、当時は異端視されていたわけである。

かといって、生徒から敬遠されていたかといえば、そんなことはなかった。生徒の話は結構聞いてくれたし、どちらかといえば親しみやすい先生だったと思う。

僕なども、放課後に教室に残って、生意気にも「国鉄分割民営は是か非か」などという話題で議論を戦わせた記憶があるが、正面から受けてくれた。生徒を大人扱いしてくれたことは確かだ。


あと、道徳の時間に在日朝鮮人差別の問題や、戦争にまつわる話(特に中国・朝鮮などへの加害について)に触れられたりしたのも印象に残っている。

僕が日本の近現代史や東アジア情勢に関心を持ち続けたのも、先生の影響があったのだと思う。(何せ、大学では日本近現代政治史を専攻し、卒業論文のテーマは「日本人の韓国観」なのだから)



卒業の時に、先生から贈られたものが2つある。

ひとつは、クラス全員へのことばだったと思うが、「一歩を踏み出せ」。

とにかく、まず一歩を踏み出すところから全てが始まる。一歩を踏み出さない限りは何も始まらない、という意味だろう。いつもそうしてきたとは残念ながら言えないが、今でも心に留めていることばであることは事実だ。

もうひとつは、これ。

無題

1987年のカレンダーで、当時反アパルトヘイト運動により獄中にいた南アフリカの黒人開放指導者、ネルソン・マンデラ(のち大統領)の解放を願うものである。

教室に貼ってあった物で、経緯はよく覚えていないが、なぜか僕が卒業の時にもらって、自室に貼って現在に至っている。(絵の下にカレンダーがあったのだが、切り取ってしまったので、ポスターに見える)



卒業後は、一度も先生にお目にかかることはなかったのだが、この3月で、定年まで1年を残して退職されたことを知り、ついで参議院選挙への立候補を知ることとなった。

社民党からの立候補では、正直なところ当選はできないと思ったが、そんな戦いに挑もうとするあたりは、いかにも先生らしいと思った。また、「憲法があぶない、憲法9条を守らねば」という思いが、「一歩を踏み出す」ことになったのだろうとも。

しかしながら、選挙の応援などができない職業に就いているので、投票する以外に何もできることはなく、静観するしかなかった。


それでも、選挙前の公開討論会で久々に姿を拝見した。遠目で見た印象と、声の感じはやっぱり年を取ったなあ、と思ったものの、先生がかもし出す雰囲気は20年前と変わっていなかった。


討論会の時には会話するチャンスなどないまま終わったが、選挙戦終盤のある日、仕事帰りに栄に寄ったら、先生が街頭演説をしているのに出会った。

これはとばかり、演説が終わるのを待って、先生のもとへ駆け寄った。

最初僕が誰だか分からなかったようで(そりゃあそうでしょう。20年前は背も小さく、やせていたのが、今ではもっともらしく、顔も横幅もいささか大きくなってしまったし・・・)、名乗ると「あの小さかった・・・」と驚かれてしまった。

先生はずいぶん日に焼けておられ、選挙戦で元気になられたのか、近くで拝見すると思っていたほど年齢を感じなかった。

短い間だったが、昔話などもした。ネルソンマンデラのカレンダーを僕に託したことも覚えておられ、「まだ大切にしています」と話すと、とても喜んでくださった。


選挙結果は、69,853票で6位。5位の共産党・八田ひろ子さんの得票が293,607票だから、まさに惨敗である。

正直、今回は誰に投票するか迷った。基本的に、当選して欲しい人に入れるのだが、一方で自分の1票を「死に票」にしないように、自分の考えに近く、かつ当選の確率が少しでも高い人にということも考えて投票するので、今回の選挙でも、共産党の八田さんか民主党の谷岡さんに投票することも考えないではなかった。

結局は、先生への思いが勝った。先生が10万票くらい獲得すれば、護憲へのメッセージということにはなるだろうと思ったのだが・・・。あまりにも過酷な数字であった。

まあ、これも当然の結果かもしれない。僕が先生に会った栄でも全然動員などはなかったし、選挙戦を通じて、愛知の社民党は主要政党としての体をなしていないような気がしたのは確かだ。失礼ながら、無所属の候補か、地方のミニ政党の候補のような感じだったもの。(矛盾するようだが、先生には大きい組織よりも、そのほうが似合うとも思うが・・・)


先生が今後どのような活動をされるのかは分からないが、憲法や平和を脅かすような動きには断固声を上げ続けるだろうと思う。僕自身、先生ほどの行動はとてもできないが、少しでもできることはやりたいと思う。


戦後何十年経とうが、守らなければならないものは厳然としてある。それを「戦後レジームからの脱却」などという無知のかたまりのようなことをのたまう総理大臣に壊されることはあってはならない。

(今日の河野洋平衆議院議長の「追悼の辞」はなかなか心に残るものだった)

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2007年8月 9日 (木)

長崎原爆の日

「日本政府は、被爆国の政府として、日本国憲法の平和と不戦の理念にもとづき、国際社会において、核兵器廃絶に向けて、強いリーダーシップを発揮してください。

(中略)

 今日、被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られるなか、単に非核三原則を国是とするだけではなく、その法制化こそが必要です。
 長年にわたり放射線障害や心の不安に苦しんでいる国内外の被爆者の実情に目を向け、援護施策のさらなる充実に早急に取り組んでください。被爆者の体験を核兵器廃絶の原点として、その非人道性と残虐性を世界に伝え、核兵器の使用はいかなる理由があっても許されないことを訴えてください。」

長崎平和宣言の一部である。


「唯一の被爆国である日本国政府には、まず謙虚に被爆の実相と被爆者の哲学を学び、それを世界に広める責任があります。同時に、国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです。また、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、平均年齢が74歳を超えた被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を求めます。」

こちらは、広島平和宣言の一部。


それぞれ全文を読んでみると、日本の政府というのは、いかに「唯一の被爆国」としての役割を果たしていないかを改めて思い知らされ、被爆地出身の政治家でさえそれを全く認識していない人がいるということに愕然とする。

安倍首相は式典での挨拶で、

「今後とも、憲法の規定を順守し、国際平和を誠実に希求し、非核三原則を堅持していくことを改めてお誓い申し上げる」

「わが国は、人類史上唯一の被爆国として、この悲惨な経験を国際社会に語り継いでいく責任がある」

「国連総会への核軍縮決議案の提出などを通じて、国際社会の先頭に立ち、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向け、全力で取り組む」

と発言しているが、改憲を公言している人に「憲法の規定を順守」などといわれても、説得力を持たない。言葉だけが踊っている感じで、寒々としたものを感じる。

本当にこのように思うのならば、言葉だけでなく具体的な姿勢を示して欲しい。

たとえば、洞爺湖でサミットをするのも結構だが、広島や長崎でサミットを行うという発想はなぜ起きないのだろうか。

各国首脳に平和公園や資料館を見てもらうことによって、被爆国日本のメッセージになると思うのだが、そのような発想をする政治家にお目にかからないのは残念である。

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2007年8月 6日 (月)

広島原爆の日

「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」


平和公園にある原爆死没者慰霊碑に刻まれた文字であるが、どうして「被害者」である広島市民が「過ち」と刻んだのか。

この言葉の意味をよく心に刻む必要があると思う。


それはすなわち、原爆投下に至った原因を考えること、そして戦争をしないという誓いをすることにつながる。



安倍首相が原爆症基準の緩和を検討すると表明したが、一国の首相が口にした以上は、間違っても人気取りのためだけに利用するなどということがないように、これ以上被爆者の心を踏みにじることのないように、きちんとした対処を望みたい。

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2007年8月 2日 (木)

参議院選挙が終わって

想像以上の与党の負けっぷりで、衝撃がいまだにおさまらない感じである。

選挙結果は、個人的には芳しいものであった。

自民党が40議席を下回らないようではダメだ、と思っていたが、反面、希望どおりには行かず、40議席半ばは確保してしまうのかという危惧もあっただけに、ある種まともな結果にほっとしたものである。

結果を受けて、安倍首相は「まさかの」続投宣言。

これも、僕の予想は半々で、「30台の議席でも政権にしがみつきそう」というのと、「いくら何でも惨敗では首相の座にいられないだろう」というものと。こちらは悪いほうの予想が当たってしまった。


今回の選挙で分かったことは、安倍晋三という人は首相の器でないということである。僕はもともと彼の首相としての資質に疑問を持っていたが、改めて思い知った次第で。

まず、選挙結果は安倍政権に退場を突きつけた、という以外にどういう解釈が可能なのだろうか。そもそもは「首相にふさわしいのは私か小沢か」と、政権選択を国民に求めたのは彼自身である。

また、「安倍内閣の基本路線は国民の理解を得ている。遊説での聴衆の反応からそう感じた」とも言っているが、おめでたい限り。遊説に集まる人の大半は支持者であろうから、当たり前のことであり、それをもとに「国民の理解」というのはちゃんちゃらおかしい。

「人心一新が国民の声だ」とも言うが、「人心一新」の対象に彼自身が含まれていないというのもずいぶん手前勝手な解釈だ。

あげくの果てに、今頃になって赤城農水大臣の「更迭」。赤城というのもどうしようもない男だが、首相も自分の都合だけで選挙前は更迭を拒み、結局は数々の疑惑にまともに答えさせることなく切り捨ててしまった、という感じで、無責任の極みである。

要するに、彼は政治を私物化しているのだ。自分がやりたいことのために、選挙結果を正視せず、部下は切り捨てても政権にしがみつく。これほど選挙を軽視し、国民を馬鹿にした首相はいなかったのではないか。

書けば書くほど怒りが増すし、きりがないのでこの辺でやめにするが、ともかくも、危機管理能力もなく、まともな判断能力もないような人物が首相であることが恥ずかしく、悲しい限りである。

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2007年7月12日 (木)

参議院選挙公示

今日から選挙戦が正式に始まった。

めちゃくちゃになっている今の政治をどうするか、有権者の判断が問われている。

そもそも、政治を「めちゃくちゃにした」責任は、有権者にあるのだ。

2年前のいわゆる「郵政選挙」で自民党を圧勝させた結果が、大して緊急性もない法案や、ろくに審議もしないで強行採決を連発する国会にし、キャッチフレーズとは逆に「美しくない」ことばかりやっている人物が首相になっている状況を生み出したのである。

今回の選挙では、ぜひとも冷静な判断かつそれなりの投票率を示してくれることを祈る。

そうでなければ、この国の未来は限りなく暗い。

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2007年7月 3日 (火)

驚き、呆れ、そして怒り

今日このタイトルをつけるからには、記事は言うまでもなく久間章生防衛大臣の暴言から辞任に至るまでのことについてである。

この記事を書くこと自体が不愉快ではあるが、記録しておく必要があると思うので、あえて書く。


まず、「原爆投下はしょうがない」発言。

発言がいかにひどいものであるかは、改めて書く必要もないだろうから触れないが、あまり触れられていなさそうな側面から1点触れておきたい。

そもそも、戦争を早く終結していれば(もっといえば、始めなければ)、原爆投下のみならず、沖縄の悲惨な戦いも、東京大空襲などの都市部への無差別爆撃もなかったのである。この3つとも、1945(昭和20)年3月以降のできごとである。

さらに言えば、ソ連の参戦以前に戦争が終わっていたら、中国残留孤児やシベリア抑留もなかった。

情勢が全く読めなかった当時の戦争指導者の罪は大きく、彼らの過ちが戦争をより悲惨なものにしたということは明らかだ。

この点からしても、「原爆投下はしょうがない」などという論理はありえない。どの側面から見ても、人が引き起こした犯罪である。


また、辞任の弁を述べる久間氏の発言もひどかった。終始「与党に迷惑がかかる」などと、選挙への影響を気にする発言のみで、自分の発言がなぜ問題になっているのか全く理解していないということをさらけだした。こんな人が大臣だったかと思うと情けない限り。


事の重大さを全く理解していない点では、安倍首相も全く同じ。

当初はどこをどう読めばそうなるのかと首を傾げたくなる「米国の考え方を述べただけ」と、発言を擁護し、翌日になっても発言への注意にとどまるなど、対応が全くなっていない。この発言を擁護する余地がどこにあるのか、首相お得意の言い方をすれば「全く理解できない」。

(安倍首相や小泉前首相は、自分の意見に反対する立場からの意見に対し、しばしばこのような言い方をする。首相としては狭量というか、その器でないことを自ら告白しているようなものだ。まあ、今回こそこの言葉を使う場面であったと思うのだが。)

「とんでもない発言だ」と即刻罷免していれば少しは株も上がっただろうが、全く適切な対応ができず、無知と無能を証明する結果になった。


就任以来、言葉とは裏腹に美しくないことばかりし続けるような首相には、即刻退陣してもらいたい。

このままでは、この国は破滅に向かう。

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2007年6月30日 (土)

公開討論会

公開討論会
参議院議員選挙愛知選挙区から立候補を予定している人たちが一堂に会する公開討論会が開かれたので、行ってみました。

討論会に参加したのは、自民・民主・公明・共産・社民の各党公認で立候補を予定している6人(民主党が2人)。
憲法改正・教育・年金の3つのテーマで、約2時間にわたって各人の考えが披瀝されました。
聴衆は500人定員の会場に7割程度というところでしょうか。

なにぶん選挙がらみなので、個々人の名前を挙げてあれこれ評するということは控え、全体の印象を記すにとどめますが、なかなか有意義なひとときを過ごせました。

まずは過剰な批判や過度な興奮もなく、穏やかに討論が進んだことは結構なことでした。まあ、本格的な選挙期間に入ればまた違った雰囲気にもなるんでしょうが、今日のところは、きちんと聴衆に訴えかけようという姿勢がうかがえました。

発言の制限時間が2分とか1分に限定されていましたが、誰も時間オーバーをしなかったのも好印象。テレビの討論なんかを見ていると、割とその辺が上手くない場面に出くわすことが多いので、いい意味で意外でした。

立候補予定者の人柄なんかもうかがえたり、討論会という場にまだ不慣れな人、上手い人の差も感じることができましたが、これも討論会という機会があったからこそ分かること。
候補者一人の話なら、政見放送や街頭演説という方法がありますが、全候補者を一度に比較できる機会はなかなかないので、今後も何とか多くの機会を作って欲しいと思います。

そのためには、候補者の理解と協力、さらには討論に耐えうるだけの力も必要です。こういう場での出来不出来は結構印象に残るので、それなりの覚悟や能力が問われます。また、有権者側にも、会場をそれなりの数で埋めるなどの姿勢が必要でしょうが。

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2007年6月23日 (土)

慰霊の日

今日6月23日は「慰霊の日」である。

1945(昭和20)年のこの日、陸軍第32軍司令官牛島満中将が自決し、組織的な戦闘が終結したとされる。

このことから、沖縄県では、日本返還前の琉球政府の時代から6月23日を「慰霊の日」とし、毎年戦没者慰霊祭を行っている。

ちなみに今上天皇は、6月23日・8月6日・8月9日・8月15日の4つの日を「忘れることのできない日」として挙げ、皇子・皇女にも教えたとされている。


ただ注意したいのは、終わったのはあくまで「組織的な戦闘」であるということ。

牛島司令官が最期に及んでなお「降伏せず、最後まで戦って死ね」という命令を発して自決したため、戦闘は続き、集団自決もやまず、挙句の果てには、8月15日を過ぎても「スパイ容疑」をかけられて日本軍に殺害された住民さえいるなど、悲惨な状況は終わらなかったのだ。

ところで、高校日本史の教科書検定で「集団自決に日本軍の強制があった」とする記述が削除されるなど、歴史を直視しない動きがまたぞろ起きている。

沖縄戦の実情を知れば知るほど、戦争の悲惨さと日本軍(ひいては戦争指導者に帰結するが)の異常さを痛切に感じるのだが、「集団自決に日本軍の強制がなかった」としたい人たちは、いったいどのように戦争を教えたいのだろうか。

沖縄戦での日本側の戦没者数19万人弱のうち、ほぼ半数の9万4千超が一般住民の犠牲者であるということだけでも、沖縄戦の凄惨さが分かろうというものだが、いまだに戦争への認識が乏しい現状は嘆かわしく、怒りさえ感じる。

それもこれも、簡単に言えば「戦争はダメ」という意識が薄れているのではないかと思う。そうなってしまった原因は、歴史を知らない、ゆがめたい人たちが政界はじめ各界に跋扈していることと、近現代史を満足に教えられない現状に他ならない。


戦争で犠牲になった方々を悼むとともに、2度と戦争の惨禍を起こさないよう(戦争に繋がる全ての動きを含めて)、改めて誓わなければならない。

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2007年5月15日 (火)

35年前と75年前の「5月15日」

35年前の今日、1972年(昭和47年)5月15日は、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還された日である。

いまだに米軍基地は残り、沖縄戦を巡る歴史解釈がゆがめられるなど、改めて考えなければならないことは多い。

沖縄は個人的には大好きなところで、機会あれば何度でも行きたいところだけれど、単なる観光地ではないことは、心の片隅に留めておくべきだと思う。


75年前の今日、1932年(昭和7年)5月15日は、時の首相犬養毅が海軍将校に殺害された日である。

動機は違えども、今年4月には伊藤一長・長崎市長が刺殺され、いまだに暴力で気に入らないものを抹殺する事がまかり通ってしまう。

昨今の風潮は、75年前と同じく、この国はなんだか右傾化しているのではないかと思える。

戦前のようなことにはならない、と誰が言い切れるのか。


日本の将来について、真剣に考えてゆかないと大変なことになる。

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2007年5月 3日 (木)

憲法記念日に考える。

今年は、日本国憲法が施行されて60年の節目である事に加え、国民投票法案が国会で審議されていることもあって、憲法に関する論議が盛んだ。

しかしながら、その中身はといえば、深みのないものが多く、あれよあれよという間に時の権力者の都合のいい方向に向かおうとしている状況は危険といわざるを得ない。

「国民投票法」を定めること自体は、憲法96条を具現化するものであり、それ自体は否定するものではない。問題は、なぜ議論の深まりもないまま法案成立を急ぐのかということである。衆議院を通過するまでの過程からは、日本の最高法規の改正手続きを定めるということに対する真剣さというか、重さが全く伝わってこない。

要するに、自分の任期中に憲法を改正したい安倍首相が描くスケジュールに合わせて事が進んでいるのだろうが、そもそもなぜ憲法を改正する必要があるのか、彼の話からは全く理解できない。

「アメリカに押し付けられた憲法だから、自らの手によるものを」云々という発言もあったが、こんな陳腐な議論を理由に据えるのは全くのナンセンスである。この言が説得力をもつためには、現憲法が国民の大多数に受け入れられていないという事実が必要ではないかと思う。

とてもそうとは言えまい。であるなら、主権者たる国民が是としているものの出自をわざわざ問う必要性があるのかどうか。

問われるべきは中身である。「アメリカ押し付け」などと叫ぶ人たちは、「純国産」の大日本帝国憲法下で日本は破滅し、「アメリカ原産」の日本国憲法下で平和を享受し、発展してきたことについてはどのように説明するのだろうか。

(ついでにいえば、普段はアメリカべったりなのに、どうして憲法は「アメリカ原産」ではいけないの?)

憲法の原案は確かにGHQ(≒アメリカ)の手によるものだが、日本国憲法公布までの過程、すなわち大日本帝国憲法の改正手続きは、GHQが超法規的措置で行ったわけではなく、大日本帝国憲法に定めたとおりの手続きを踏んでいるのだ。

また、「憲法が時代に合わなくなっている」という論もよく耳にするが、具体的にどの部分を言っているのか、これも明確に納得できる説に出会わない。

そもそも、憲法にあれもこれもと細かい話を、時代に合わせて盛り込もうなどと考える事自体が無理なのではないか。最低限の枠を憲法で定め、あとは個別の立法にゆだねる、と考えれば、現時点においても今の憲法で充分対応できているわけで、特段不都合があるとは思えないのだが。


結局のところ、憲法を改正したいということは、第9条を変更したいということに他ならないのだ。それを正当化するために、「押し付け」だの「時代に合わない」だのと、理由づけしているに過ぎない。

アメリカと一緒になって集団的自衛権を行使したいとしか思えない現首脳にしてみれば、憲法解釈によって自衛隊を保持し、海外派遣までは可能になったが、集団的自衛権の行使だけはどう解釈しても不可能なゆえ、改憲をということだろう。

しかし、なぜ集団的自衛権を行使する必要があるのか、まともな議論を聞いたことがない。やれ北朝鮮の脅威だとか、日米同盟強化のためだとか、「普通の国」にならなければ、とか、上っ面の議論はにぎやかだが、根本的な答えになっていないのだ。

だいたい、唯一の被爆国である日本が、「普通の国」であるはずはないし、また、なってはいけないのではないか。日本の役割は、たどってきた歴史ゆえに日本国憲法があり、集団的自衛権は行使できないことを全世界にアピールした上で、日本ならではの国際貢献の仕方を考え、核廃絶へ取り組んでいくことであって、「普通の国」になることでは断じてない。


最近の政治家(に限らないが)の歴史認識の浅さには呆れるほかなく、「沖縄戦での住民の集団自決に日本軍の強制はなかった」などという話がまかり通るのは、無知としか言いようがない。思うに、最近の政治家は、歴史小説を読めば歴史を勉強したような気になっているのではないか。ろくに史料も読んだことがない者が為政者になると、「先の戦争の評価は歴史家に委ねる」などという不見識な発言が飛び出すことになる。戦争がもたらすものや、平和というものを軽んじているとしか思えない。

(僕自身は、少なくともそこら辺の政治家よりは勉強してるつもりです)

日本の最高法規である憲法を、そのような底の浅い、不見識な連中によって恣意的にもてあそんで欲しくない。また、護憲を唱える人たちも、例えば「なぜ9条を変えると戦争に繋がるのか」というようなことをもっとていねいに説明することが必要だろう。ともかくも、深みのある、冷静な議論ができないうちは、憲法改正論議は時期尚早だと思う。


最後に1つ。憲法96条と99条は根本的に矛盾していると思うのは僕だけ?(突き詰めて考えると結構奥が深いような・・・)

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2006年9月26日 (火)

安倍内閣誕生

パッとしない顔ぶれの内閣、というのが率直な印象。

良く言えば手堅い布陣ということなのだろうが、いかにも論功行賞的な感じの布陣であり、どっしりとした存在感のある人がいないのも内閣の印象を軽くしている。

遺憾ながら、この内閣には全く期待できない。(ぼくはもともと安倍さんを支持していないし、期待もしていなかったが、それにしても・・・という感じである)

また、「再チャレンジ担当」とか「イノベーション担当」など、横文字乱発もいただけない。

両方とも安倍首相が官房長官のときから力を入れ、自民党総裁選のときにも触れていたことではあるが、「イノベーション」という、まだ一般的とはいえない言葉で、国民に意図がきちんと伝わるのだろうか。

「再チャレンジ」というのも、二極分化、いわゆる「勝ち組」「負け組」(この言葉あんまり好きじゃないんだが)が存在するのを前提にしているわけで、そもそも政治は、この格差をなくすことを理想とすべきではないのか。

小泉内閣の負の遺産を当然のものとして、いかにもニート対策のごとく「再チャレンジ」などというのはごまかしでしかない。もし「雇用機会の増大をはかる」という意味で使っているならば、ちょっと言葉の使い方がずれているのではないか。

また、キャッチフレーズとして「美しい国」創りを掲げているが、字面は確かに美しいものの、言葉が上滑りしている感があり、今ひとつ意図するところが伝わってこない。

そもそも、安倍首相には、小泉前首相に負けず劣らず経綸がないのだ。

だから、発言が薄っぺらい。

北朝鮮問題にしろ、憲法改正問題にしろ、勢いに任せて言っているだけ。発言の背後にある思想が極めて薄弱で、この人はちゃんと勉強しているのかと思わざるを得ない。集団的自衛権の意味がきちんと分かっていなかった節もあるし、勢いだけで危険な方向に国を導いてもらってはたまらない。

だいたい、この国が右傾化したときにはロクなことにならないのは、歴史が証明している。もう少し、歴史について見識を持ってもらわないと(これは首相に限らず、政治家全般に言えることだが)取り返しがつかないことになると危惧している。

一つ指摘したいのは、これだけアメリカに依存していながら、こと憲法になるとなぜ「アメリカ押し付けの・・・」などと陳腐な話になるのだろうかということ。憲法は「アメリカ押し付け」がいやなのに、どうして沖縄の米軍基地は現状を容認するのか。

安倍さんの首相としての資質には疑問を抱かざるを得ないのだが、この程度の人でも首相になれてしまう日本の現状を憂う。

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2006年9月25日 (月)

小泉内閣の5年半

明日、5年半ぶりに総理大臣が交代する。新総理についても言いたいことは色々あるが、それは明日以降に譲り、小泉総理の5年間をなるべくコンパクトに振り返ってみたい。

正直、長すぎた。最初に訪朝したあたりで賞味期限切れというのが小泉政権に対する僕の評価である。

登場したときは、僕もかなり期待しましたよ。既成観念にとらわれず、日本を明るい方向に導くのではないかと。何せ、前の総理がどうしようもなかったのでねえ。

道を誤ったポイントは、田中外相の更迭だと思う。

更迭自体が悪いといっているのではない。金正男(「と思われる人物」)不法入国時の処理を見れば、遅かれ早かれ、田中外相はやめさせねばならなかっただろう。

問題は、やめさせ方だ。

田中外相と野上外務次官を同時にやめさせた手法にがっかりしたのだ。これでは、結局官僚が「外相の首を取った」と増長する結果になるだけ。政治主導というか、立場をわきまえさせるには、次官以下、大臣に抵抗する官僚たちを更迭し、ほとぼりが冷めるまで大臣は留任させるべきであったと思う。そのくらいは、大臣を任命した責任のうちだろう。

俗な言い方をすれば、「大臣と官僚とどちらがエライか」を見せつけなければならなかったのだ。霞ヶ関改革が進まなかったのは、このときの処理の仕方を間違えたからだ。

外交の停滞があったとか言われるが、それを補佐するのが官僚の役目だろうし、大臣の足を引っ張ったにいたっては、何をかいわんやである。

これ以降は総じて失敗続きといわざるを得ない。ハンセン病訴訟控訴せず、道路公団解体、郵政民営化という数少ない「功績」(後ろ2つには諸説あるだろうから、あえてカッコつき)も、負の部分が大きすぎてかすんでしまう。特に、ハンセン病訴訟控訴せず、の決断は、文句なしの功績といえるのに、残念である。

拉致をはじめとする北朝鮮問題も、2回の訪朝で思ったより進捗しないと、興味を失ってしまったような感じになってしまった。これは結局のところ、東アジア関係を軽視したツケで、自業自得である。

靖国神社参拝を「心の問題」として参拝し続けた結果、中韓との関係を悪化させた。北朝鮮問題を考えれば、絶対にこちら側に引き寄せなければならない相手なのに、一国の総理にあるまじき姿勢で自ら扉を閉じたのだ。公人としての立場がまるで分かっていない、子どもの論理で靖国参拝を続けた罪は重大と言わざるを得ない。

半面、イラク戦争への対応に代表される極端な対米偏重姿勢は、本当に国益にかなっているのか、はなはだ疑問である。



結局のところ、小泉総理には総理大臣としての資質はなかった、と断ぜざるを得ない。

如実に現れているのが、国会での答弁ぶりだ。

あれほど質問に誠実に答えない総理大臣は、古今東西を通じて稀なのではないか。はぐらかし、開き直りが多いということは、すなわち質問に正面から答えるだけの経綸も、能力もないということだろう。

質問者の力不足もあろうが、それにしてもあそこまでバカにしたような答弁をする総理大臣はそうはいない。

その辺を面白おかしくしか取り上げなかったマスコミの罪も重大である。

最近、まともに政治を批判する人や媒体が減った。本来、ジャーナリズムは政権に対しては常に批判的な視点を持つべきものなのに、そういう視点で報道する能力がなくなったのか何なのか分からないが、遺憾なことである。

マスコミには、もう少し自らの役割について真剣に考えてもらいたい。

そんなマスコミの姿勢が、政治を身近なものにするのを通り越して、浅はかな物の見方しかできない世論を形成してしまったのだ。昨年の総選挙のときの報道ぶりなどは、その最たるものである。もっとも、それを見抜けず自民党を圧勝させた国民も同罪なのだが。

総選挙を「郵政民営化の国民投票」とするのならば、郵政民営化以外は争点としないということであり、郵政民営化が片付いたらもう一度総選挙をし、郵政民営化以外の問題について民意を問わなければならなかったのだ。

その辺の見極めもなく、ばかばかしい熱にあおられた結果、自民党圧勝、おまけに杉村某のようなしょうもない代議士が誕生することになったわけで。

正直、選挙の開票結果第一報を見たときには、愕然としたし、わが目を疑った。

そして、この国の民意の低さに絶句した。

小泉首相の最大の罪は、「ワンフレーズ」で、政治をワイドショー化し、堕落させ、物事を深く考えない風潮を作った元凶となったことである。

「こんなことなら、森総理のほうがましだった」と思うのだが、あの森総理(この人も居酒屋で飲んでしゃべるには楽しい人なのだろうが、総理としては・・・言わぬが華)のほうがましだった、と思えてしまう現状が悲しい。

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