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カテゴリー「経済・政治・国際」の記事

2013年12月 6日 (金)

1枚のポスター

私の部屋に、1枚のポスターが貼ってある。


20131206_200533


中学校3年の時、当時の担任の先生にいただいたものだ。

(この先生については、「ポスター」の話を含め、かつて書いたことがあります。長い文になってますが、よろしかったらこちらをご覧ください。)
http://miyap.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_0d40.html


このポスターで解放を叫ばれている人、ネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領が亡くなった。

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_date1&k=2013120600091


昨今の日本の状況を見るにつけ、彼が戦ってきた時代、そして日本がかつて辿った道に思いを致さざるを得ない。



ちなみに、かつてこんなことも書いている。
我ながら今でも通用する内容が多いことに苦笑せざるを得ないが、結びの希望がかなわなかったことは痛恨の極みである。
http://miyap.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_ca7d.html

2011年8月 7日 (日)

嘉数高台公園

嘉数高台公園
嘉数高台公園
嘉数高台公園
嘉数高台公園
ここは、米軍の普天間飛行場が一望できる場所であり、沖縄戦の激戦地になった場所です。

南部の戦跡や資料館はかつてしっかり見ているつもりですが、当地は未訪で、今度沖縄に来たら必ず来ようと思っていたところです。

写真では見にくいですが、上2枚の写真の雲と住宅地の間に基地が広がっています。
下から2番目の写真は戦地壕の跡、一番下は壁に残る弾痕。

ここへ来る前に、「道の駅かでな」に寄って嘉手納基地も見て来ました。

やっぱりワタシにとっては来るべきところで、南部の戦跡や資料館などとともに、基地問題や戦争について考えることができる場所だと痛感しました。

…この辺の問題についてはいろいろ思うところがありますが、改めて機会があれば触れます。

2011年4月10日 (日)

愛知県議会選挙の投票へ

愛知県議会選挙の投票へ
愛知県議会選挙の投票へ
愛知県議会選挙の投票へ
愛知県議会選挙の投票へ
行ってきました。

統一地方選挙は全国的に全く盛り上がらない中、名古屋市は3か月連続の選挙となっています。

投票所にいたのは数人。
誰もいないかと思ったので良かったとは思いますが、やっぱり投票率は上がらないでしょうね。お天気はよく、春らしい陽気だし。

投票所は母校である中学校ですが、門の横の桜が満開で、美しい春の風景をしばし楽しむことができました。

2011年3月11日 (金)

期日前投票

期日前投票
期日前投票
期日前投票
地震が大変気になりますが、ニュースを見つつ記します・・・。

午前中、病院に行ったついでに、名古屋市議選の期日前投票に行ってきました。
(病院に行った話は別に書きます。)

投票所のある区役所までは市バスで往復。
投票所に着いたときはワタシ1人でしたが、投票を済ませたころに何人か入ってきました。

この選挙、政権の行く末まで占うことになったらしく、全国ニュースにも取り上げられ、注目の選挙となりました。
期日前投票の出足はいいらしいですが、前回の市議選(統一地方選での実施で、県議選と同時実施)では39%という散々な投票率が、今回どこまで上がるでしょうか。

2月6日の住民投票で、69万6000余り(得票率70%超)の有権者が賛成票を投じ、市議会を解散させました。
少なくとも賛成票を投じた人には、新しい議員を選ぶ選挙で票を投じる義務があると思います。

2011年2月 6日 (日)

トリプル投票

トリプル投票
トリプル投票
今日は、名古屋市では「トリプル投票」、つまり、名古屋市長選・愛知県知事選・名古屋市議会の解散投票が行われています。
午前中に、投票に行ってきました。

入院していた病院でも不在者投票があり、こちらもめったに経験できないことなのでどうしようか迷ったんですが、結局リハビリを兼ねて投票所まで歩くことを選択しました。

投票所である母校の中学校まで、何回か小休止して20分くらいかかって到着。普通だと数分で着く距離ではあるものの、思いのほか速く着けたという印象。
でもこれまでで一番長い距離を歩いたので、帰ってからちょっと肩のあたりが筋肉痛です。

松葉杖姿ゆえ、投票所の方に気遣いの声をかけていただきましたが、特段介助を必要とすることなく、無事投票を済ませました。
立ったまま投票用紙の記載や投票はじめ、用紙の受け取りなども思ったより無難にこなせ、ほっと一息。

投票所にはかなりの人がいて、これはかなり投票率が上がるなと思ったんですが、お昼のニュースによると11時現在の投票率は、前回を若干下回るそうで、意外でした。
前回は、知事選・市長選とも最終投票率が50%台前半。今回は、期日前投票は前回の1.5〜1.7倍の数があったそうなので、最終的にどうなりますか。

全国ニュースになっている今回の選挙。
結果がどうなるか、私自身も非常に注目しています。

2007年12月 8日 (土)

今日は何の日

27年前、1980年12月8日は、ジョン・レノンが暗殺された日だとか。

さらにさかのぼって、66年前の1941年12月8日は、日本の真珠湾攻撃により、対米英蘭戦争が始まった日である。

19時のNHKニュースでは、ジョン・レノン追悼のニュースを取り上げていたものの、戦争関連の話題には触れていなかった。

まあ確かに、いわゆる太平洋戦争はいきなり始まったわけではない。


ここへ至る過程として、少なくとも1937年7月7日の盧溝橋事件に端を発する日中戦争、1931年9月18日の柳条湖事件により起こした満州事変があるわけで、12月8日のみをことさら大きく取り上げるのもおかしいといえばそうもしれない。


しかし、日本が破滅の最終段階へ踏み出した日として、記憶にとどめなければならない日だと思う。


さて、ここにタイトルがズバリ『1941年12月8日』という本がある。

今日は何の日

この本は、1991年に岩波ジュニア新書として刊行されているが、著者の江口圭一先生は、僕の大学時代のゼミの教授である。

大学1年の時に、江口教授の「日本政治史」の講義を履修したことで、もともとこの時代の歴史に関心があった僕は大いに刺激され、ひきつけられた。


卒業後も、何度かこっそり「日本政治史」の講義を聴きに、大学へ足を運んだほどである。


この本は、ジュニア新書ということもあって、「1941年12月8日」に至る過程と、この日から敗戦に至るまでの過程が分かりやすく記されている。

16年前に記されたものだが、少しも色あせていない。

実は、この本は当然のことながら出版直後に買ったのだが、2年後に紛失してしまい、そのままになっていた。

最近、またどうしても読みたくなって、いくつか書店を巡ってようやく見つけたという、いわくつきの本である。

(インターネットで買えば簡単に手に入るものではあるのだが・・・)


江口先生は、4年前、定年退官後間もなく亡くなった。今の時代にこそ、先生の活発なご発言を期待したかったと思うだけに、残念でならない。



閑話休題。

私の知人に、必ず「大東亜戦争」と言う(というか書く)人がいて、ちょっと困ったもんだと思っております。

「大東亜戦争」は、時の政府が決めた呼称ではあるものの、根拠が「大東亜新秩序建設を目的とする戦争だから」なんです。

この「大東亜新秩序」なるもの、欧米の植民地支配から東アジア・東南アジアを開放しようという名目だったものの、実際は日本が欧米にとって代わっただけという、まやかし以外の何ものでもありません。

よって、現在使うのは相応しくないと思うんですが、戦中派の方々は無意識にお使いになるのかもしれません。

ご当人に指摘すべきかどうか、いつも考えてしまいます・・・。

2007年9月26日 (水)

福田内閣発足

福田康夫首相および閣僚が任命・認証されて、福田内閣が今日正式に発足した。

とにもかくにも、前首相が国政をぐちゃぐちゃにしてしまっているので、まずは当面の課題に誠実に取り組んでもらいたいと思う。

まあ、福田首相は手堅くはやるでしょう。安倍内閣の閣僚の入れ替えをほとんどしなかったところにも(そうなるには水面下ではいろいろあったにせよ)手堅い姿勢がよく現れている。

確かに、「政治とカネ」の面で怪しげな人もいるが、閣僚になって1か月。ほとんど仕事ができていない状況では評価のしようがないので、この首相判断は是として、しばらくは仕事ぶりを見たい。


とはいえ、僕自身は福田首相のやや人を小ばかにしたような言動はどうにも好きになれない。父の赳夫氏のような洒脱さがあるわけではないし、とりあえずは手堅いだけが売りでは、首相の器にふさわしいかどうかは疑問である。

そもそも、参議院の少数与党の状況や、自民党役員決定の際、古賀誠氏に押し切られたような経緯を見ると、早晩行き詰ることは避けられないだろう。

やはり、この内閣は「選挙管理内閣」と割り切って、早期の解散・総選挙に臨むことを最大の仕事にするしかないと思う。



安倍内閣についての総括も少し。

唯一評価してもいいと思うのは、小泉首相時代に八方ふさがりになってしまった中国・韓国との関係を改善したこと。

これ以外は全くダメ。教育基本法はじめ教育関係法の改正、国民投票法の制定、防衛庁から防衛省への昇格など、実績めいたものがあるが、拙速な国会審議で、数の力に物をいわせて成立させただけ。

あとは「美しい国」だの「戦後レジームからの脱却」だのと、言葉が踊り、独りよがりの姿勢に終始して結局は政権を投げ出すに至ったわけで、この国を混乱させただけに終わった感じである。

病院での退任の弁で、ようやく「最悪のタイミング」での退陣だったことを認め、国民に陳謝したが、遅きに失した。「1か月くらい体調が悪かった」と告白したが、そうであればなおさら早い時点での退陣を決断すべきだったわけで、自ら首相の器でないことを認めたようなものである。

このような人物を首相にし、かつ参議院選挙惨敗でも続投を容認してしまった与党の責任は厳しく問われるべきであり、総選挙の時まで忘れてはならない。

2007年9月12日 (水)

安倍首相、突然の辞任表明

安倍首相が、突然辞任を表明した。

僕自身は、一刻も早くこの人には首相を辞めてもらいたいとは思っていたが、この時期の辞任表明には、驚き呆れると同時に、憤りを禁じえない。


2週間前に内閣改造したばかりで、おととい所信表明演説をし、これから代表質問を受けようとする直前になぜ辞任を表明するのか。無責任で、常軌を逸しているとしか思えない。


思えばこの人は、常に国会を軽視してきた。

相次ぐ強行採決。参議院選挙で大敗しても政権の座にしがみつく。あげくに所信表明演説直後の辞意表明。

このような国権の最高機関をないがしろにしているとしか思えない行為の数々。国会を軽視しているということは、主権者である国民を軽視していることと同義である。

大体、参議院選挙で大敗しても辞めなかったのに、テロ特措法延長問題では、勝手に海外で延長を「国際公約」し、「職を賭して取り組む」とは、国民の意思よりアメリカの意向に添えないことのほうを重要視しているとしか思えない。

普通、一国の首相がそこまで言うのならば、不退転の決意でこの問題に取り組むのだろうと誰もが思うはずである。しかしながら首相を取り巻く環境は厳しく、追い詰められたと感じてしまったのか、代表質問を受ける自信もなくなったのか、「もうやーめた」と政権を投げ出したという感じであり、まったく無責任の極みというしかない結末となった。

このような状況になることは、参議院選挙惨敗の結果から容易に想像できたはずであり、今急に状況が変わったわけではない。それなのに今頃になって状況の厳しさに耐えられなくなった、というのならば、基本的に政治家としての資質を欠いているのであって、そもそも首相になってはいけなかったのだ。


一方、辞任の理由として、健康に問題があったからではという説もある。もしそうであるならば、内閣改造前に決断しなければならなかったし、昨日今日に政権を担えない健康状態であることが分かったから辞める、というのであれば、きちんと説明すべきである。


結局、この人は最後まで「ピントが外れていた」ということだろう。国民が当面解決すべき課題とは思っていない「戦後レジームの脱却」にこだわり、選挙で惨敗しても自分の目指す方向は支持を得ていると強弁する。そして辞めるべきでないタイミングでの辞任表明。とどめは、国民に対して混乱を詫びることばが全くなかった記者会見。


間違いなく、史上最低最悪の総理大臣の一人に列せられるだろう。このような人には、二度と政治の表舞台に出ることなく、政界からもさっさと身を引いてもらいたい。

2007年8月27日 (月)

安倍改造内閣発足

まあ、一応触れておきましょうかね。


一口に言えば、どんよりと重苦しい顔触れの内閣。「人心一新」という割には、留任も多いし、清新さに欠ける顔触れの数々。

特に、町村外相なぞ最悪ですな。この人の言動には、どうも「自分は特別な人間だ」と言わんばかりの偉そうなというか、人を見下したような感じがするので。大した仕事も出来そうにないのに、態度だけは大物。大嫌いです。


そんな中で、僕が唯一期待するのが、前岩手県知事の増田総務相。知事時代から、地方分権の推進を唱えていた人なんで、大臣としてどの程度力を発揮できるのか(あるいはできないのか)、注目したいと思います。

もう一人、人物としてはあんまり好きじゃないけど、注目してるのは舛添厚労相。もともとは国際政治学者なのに、実母の介護経験からすっかり「福祉の人」になりました。とかく問題を抱える省庁だけに、どのような手腕を発揮するのか(あるいはできないのか)は、注目しています。

この2人以外は、見るべきものはないでしょう。大体、いまだに安倍氏が首相であること自体が信じられないんでねえ。記者会見でも、参院選で否定されたはずの「戦後レジーム」云々を未練がましくのたまうなど、空気の読めないのは相変わらずのようだし。


まあ、何か月持つのかも含め、とりあえずはお手並みを拝見というところでしょうか。

2007年8月15日 (水)

終戦の日に~ある候補者への想い

時の流れは速いもんで、先の参議院議員選挙の話をしようとすると、ずいぶん昔のことに触れるような錯覚に陥る。

しかしながら、終戦の日に際して是非にも書いておきたいことなので、私情が強くなるかもしれないが、あえて書く。


愛知選挙区は、自・民・公・共・社の主要5政党から候補者が立ち、全国から注目される選挙区となった。結果は民主2・自民1で議席を獲得し、公明党は惜敗、共産党は善戦及ばず、社民党は主要政党とは思えぬ大惨敗、であった。

その大惨敗した社民党公認で立候補したのが、平山良平先生である。

彼を「先生」と呼ぶのは、政治家だからとりあえずそう言っておくとか、また逆に揶揄する意味で言っているとかではない。僕が中学3年生の時のクラス担任であり、今は現役の教員ではなくても、僕にとってはいつまでも「先生」だからである。



先生は、当時(20年前)「変わり者」とか「協調性がない」などと言われていた。

理由のひとつが、「職員室に喫煙スペースを設けるべし」と、裁判を起こしたことだ。

タバコを吸うなとは言わないが、吸わないものが害を受けないような措置を講じて欲しいという趣旨だったはずで、現在は名古屋市立の学校の敷地内が全面禁煙になっていることを考えると隔世の感がある。

今考えれば、先生にはずいぶん先見の明があったともいえるが、当時は異端視されていたわけである。

かといって、生徒から敬遠されていたかといえば、そんなことはなかった。生徒の話は結構聞いてくれたし、どちらかといえば親しみやすい先生だったと思う。

僕なども、放課後に教室に残って、生意気にも「国鉄分割民営は是か非か」などという話題で議論を戦わせた記憶があるが、正面から受けてくれた。生徒を大人扱いしてくれたことは確かだ。


あと、道徳の時間に在日朝鮮人差別の問題や、戦争にまつわる話(特に中国・朝鮮などへの加害について)に触れられたりしたのも印象に残っている。

僕が日本の近現代史や東アジア情勢に関心を持ち続けたのも、先生の影響があったのだと思う。(何せ、大学では日本近現代政治史を専攻し、卒業論文のテーマは「日本人の韓国観」なのだから)



卒業の時に、先生から贈られたものが2つある。

ひとつは、クラス全員へのことばだったと思うが、「一歩を踏み出せ」。

とにかく、まず一歩を踏み出すところから全てが始まる。一歩を踏み出さない限りは何も始まらない、という意味だろう。いつもそうしてきたとは残念ながら言えないが、今でも心に留めていることばであることは事実だ。

もうひとつは、これ。

無題

1987年のカレンダーで、当時反アパルトヘイト運動により獄中にいた南アフリカの黒人開放指導者、ネルソン・マンデラ(のち大統領)の解放を願うものである。

教室に貼ってあった物で、経緯はよく覚えていないが、なぜか僕が卒業の時にもらって、自室に貼って現在に至っている。(絵の下にカレンダーがあったのだが、切り取ってしまったので、ポスターに見える)



卒業後は、一度も先生にお目にかかることはなかったのだが、この3月で、定年まで1年を残して退職されたことを知り、ついで参議院選挙への立候補を知ることとなった。

社民党からの立候補では、正直なところ当選はできないと思ったが、そんな戦いに挑もうとするあたりは、いかにも先生らしいと思った。また、「憲法があぶない、憲法9条を守らねば」という思いが、「一歩を踏み出す」ことになったのだろうとも。

しかしながら、選挙の応援などができない職業に就いているので、投票する以外に何もできることはなく、静観するしかなかった。


それでも、選挙前の公開討論会で久々に姿を拝見した。遠目で見た印象と、声の感じはやっぱり年を取ったなあ、と思ったものの、先生がかもし出す雰囲気は20年前と変わっていなかった。


討論会の時には会話するチャンスなどないまま終わったが、選挙戦終盤のある日、仕事帰りに栄に寄ったら、先生が街頭演説をしているのに出会った。

これはとばかり、演説が終わるのを待って、先生のもとへ駆け寄った。

最初僕が誰だか分からなかったようで(そりゃあそうでしょう。20年前は背も小さく、やせていたのが、今ではもっともらしく、顔も横幅もいささか大きくなってしまったし・・・)、名乗ると「あの小さかった・・・」と驚かれてしまった。

先生はずいぶん日に焼けておられ、選挙戦で元気になられたのか、近くで拝見すると思っていたほど年齢を感じなかった。

短い間だったが、昔話などもした。ネルソンマンデラのカレンダーを僕に託したことも覚えておられ、「まだ大切にしています」と話すと、とても喜んでくださった。


選挙結果は、69,853票で6位。5位の共産党・八田ひろ子さんの得票が293,607票だから、まさに惨敗である。

正直、今回は誰に投票するか迷った。基本的に、当選して欲しい人に入れるのだが、一方で自分の1票を「死に票」にしないように、自分の考えに近く、かつ当選の確率が少しでも高い人にということも考えて投票するので、今回の選挙でも、共産党の八田さんか民主党の谷岡さんに投票することも考えないではなかった。

結局は、先生への思いが勝った。先生が10万票くらい獲得すれば、護憲へのメッセージということにはなるだろうと思ったのだが・・・。あまりにも過酷な数字であった。

まあ、これも当然の結果かもしれない。僕が先生に会った栄でも全然動員などはなかったし、選挙戦を通じて、愛知の社民党は主要政党としての体をなしていないような気がしたのは確かだ。失礼ながら、無所属の候補か、地方のミニ政党の候補のような感じだったもの。(矛盾するようだが、先生には大きい組織よりも、そのほうが似合うとも思うが・・・)


先生が今後どのような活動をされるのかは分からないが、憲法や平和を脅かすような動きには断固声を上げ続けるだろうと思う。僕自身、先生ほどの行動はとてもできないが、少しでもできることはやりたいと思う。


戦後何十年経とうが、守らなければならないものは厳然としてある。それを「戦後レジームからの脱却」などという無知のかたまりのようなことをのたまう総理大臣に壊されることはあってはならない。

(今日の河野洋平衆議院議長の「追悼の辞」はなかなか心に残るものだった)

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